ネロとパトラッシュの歩いた道〜(5)

川岸のアントワープ



【Steenplein 石広場】→【Zuiderwandelterras 南遊歩道】→ 【Ernest van Dijkkaai】→【Plantinkaai プランタン岸】→ 【Sint-Michielskaai 聖ミカエル岸】




川岸に出ました。

(シュケルデ川については 別ページをご覧下さい→「シュケルデ川」 ))


シュケルデ川を見るには 大聖堂の正面が見えるZuiderwandelterras 南遊歩道を上がった方が良いでしょう。
このZuiderwandelterras 南遊歩道は1884年に作られたものです。
(アントワープの人たちにとっては 「アントワープで一番ロマンチックな場所」として
街中で一番のお気に入りの場所となっています。)

川岸からシュケルデ川を見てみると
橋が架かっていません。
なぜでしょうか?
一つ目の理由は このシュケルデ川が 以前は国境だったからです。
町のある側は神聖ローマ帝国 向こう岸はフランス王国だったのです。
ですから全く行き来がなく 両岸に要塞がありました。
橋が架けられていないもう一つの理由は
大きな船が通れるようにするには 橋を高く架けなければなりません。
かつ 今の自動車の通行量ですと 片側四車線以上はないと充分ではありません。
それだけの橋を架けるには 旧市街の側で大規模な区画整理をしなければなりませんし
環境面での影響も無視できません。
ということで 橋が架かっていないのです。
1933年までは 渡し舟で行き来していました。
対岸に船着場が残されているのが見えます。

アントワープの渡し舟 1911年
アントワープの渡し舟 1911年

そして1933年(昭和八年)にトンネルが掘られました。
歩行者/自転車用のトンネルと 自動車用のとです。
今でも その二つのトンネルは使われています。
(後ほど 歩行者/自転車用トンネルのところを通ります。)

このシュケルデ川は 国境でしたので
戦いもここで行われました。
オランダの独立戦争が行われていた1585年の4月4日には
このシュケルデ川において 世界で初めての時限爆弾が使われました。

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南の方向に(=川を右に見て)進みましょう。
遊歩道が終わると 観光バスの駐車場になっています。
そこから町の方を見ますと 一つだけ独立した建物があります。
これが 1933年(昭和八年)に掘られたトンネルへの入り口です。
今でも その時に作られたエスカレーターが使われています。
(アントワープ市内で一番「レトロ」な場所と言われています。)
エレベーターまたはエスカレーターで31m降り
572mの長さのトンネルを歩いて(あるいは自転車で)渡ります。
(対岸からの眺めが 上の写真になります。)

さて
更に南下すると 屋根のある乗用車の駐車場になっています。
この屋根は 駐車場のためでしょうか?
地面を見ると 所々に線路があります。
以前はここに 貨物用の線路が敷かれていました。
港で荷揚げされた貨物のための屋根です。
1884年に川幅が揃えられた時に建てられました。
今はここ旧市街は港としてはほとんど使われていませんが
なぜこの屋根がいまだにあるのかというと
駐車場のためではなくて 屋根の街側が透かしになっています
これが文化財に指定されているからなのです。

屋根に所どころ番号が振られているのが見えます。
ここは「19」となっています。
この進行方向が街の南側になりますが
街の南の端が「1」で そこから順番に番号が振られています。

今はほとんど船は止まっていません。
なぜならば 今はもうこの辺りは貨物港としてはほとんど使われていないからです。
しかし 昔は違いました。
16世紀には ここアントワープの港は世界最大の規模を誇っていたのです。
そして 1863年のシュケルデ川再開以後も
貿易港として非常に発展しました。
ネロの頃の港はこんな感じでした。

アントワープの港

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ここまで川沿いの道は
Plantinkaai プランタン岸という名でしたが
ここから先は Sint−Michielskaai 聖ミカエル岸となります。
どうして大天使長聖ミカエルの名が付けられているのかというと
以前はこのあたりに大きな修道院 聖ミカエル修道院があったからです。

聖ミカエル修道院(アントワープ)1660年頃
聖ミカエル修道院(アントワープ)1660年頃

この修道院は そもそもは1124年に聖ノルベルトゥスが始めたものです。
しかしその前からここに教会はありました。
652年に聖アマンドゥスがここに教会を建てたようで
それが1124年まではアントワープで唯一の教区教会でした。
(礼拝堂は教会ではありません。別の格です。)
修道院となってからはとても勢力を伸ばし
アントワープ近郊にたくさんの土地を持つだけではなく
低地地方(=現在のオランダとフランダース地方)で最も影響力を持つ修道院となりました。
1624年には ルーベンスがこの修道院の教会の主祭壇の絵を完成させています。
(今は アントワープ王立美術館に展示されています。)
しかし フランス革命によって荒廃し
1831年のベルギー革命で 完全に閉鎖されました。
この昔の版画を見ても 城壁内にあるにしてはとても大きな修道院であったことが分かります。

ここには1847年から1867年の間(つまりネロたちが生きていた時代)
Cockerill コッケリル造船所がありました。
(その後ホーボーケンに移転しましたので そちらに説明があります。)
Cockerill コッケリル造船所はリエージュ近郊で始められたのですが そこでは海洋船は作れないので
アントワープに移転してきました。
ここでは20年間に60艘の船が作られました。


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更に進んでいくと スペイン要塞のあったところです。
ここまでがアントワープの城壁内でした。
左に入っていく道 Namen通りを行きますと やがて右側に大きな新しい建物が見えます。
屋根に幾つもとんがりが乗っています。
これは 21世紀初めに立てられた裁判所です。
街の中にある裁判所は 城壁を取り壊した場所に1877年に建てられましたが
そこが手狭になったので 新らしい裁判所がここに建てられました。
この場所は 以前南駅があった場所です。
また 万国博覧会が開かれたときには 会場への入り口として門があった場所です。


川岸に戻って 更に進んでいきましょう。


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