ネロとパトラッシュの歩いた道〜(1)

ホーボーケン



【Kioskplaats キオスク広場】→【Onderwijzerstraat 教育者通り】→【Sint-Bernardsesteenweg 聖ベルナルト石通り】 または
【Kioskplaats キオスク広場】→【Antwerpsestraat アントワープ通り】→【Sint-Bernardsesteenweg 聖ベルナルト石通り】



川から離れた道

(ホーボーケンについては こちらのページでご覧下さい。)

ホーボーケンの中心のKioskplaatsキオスク広場から出発して
復元された(縮小版の)風車を見に行ったらば
Onderwijzerstraat教育者通りを行き 風車のあるEikenlei楓通りとOnderwijzerstraat教育者通りとの角を過ぎて更に行くと
Sint-Bernardse steenweg聖ベルナルト石通りにぶつかります。(路面電車が走っている道です。)
そこの角に教会がありますが 余りにモダンなので教会だとは分からないかもしれません。

聖心教会(Hoboken)

この聖心教会は ネロの頃には こういう建物でした。

Sint-Bernardse steenweg聖ベルナルト石通りを左に入って ずっと進んで行きます。
1km程行きますと やがて
Zwaantjesズワーンチェスと呼ばれている)大きな交差点があって 別の路面電車(2番)の線路と交わります。


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ホーボーケンの中心のKioskplaatsキオスク広場から
聖母生誕教会の方に出たらば
すぐ右手に レストラン「Patrascheパトラッシュ」があります。
更にいくと左手に ネロとパトラッシュチョコレートを売っているケーキ屋さん「Kioskキオスク」があります。
(路面電車2番と4番の線路に沿って)教会のところで右折しますと
その道が Antwerpse straat アントワープ通りです。つまり アントワープに行く道だということです。
この道を ひたすら真っ直ぐに進みます。
1.5km程行きますと やがて
Zwaantjesズワーンチェスと呼ばれている)大きな交差点があって 別の路面電車(24番)の線路と交わります。
そこの道がSint-Bernardse steenweg聖ベルナルト石通りです。

ここで左折して そのSint-Bernardse steenweg聖ベルナルト石通りを真っ直ぐに進みます。

この「聖ベルナルト石通り」は とても長い道で
(今はこの道に 路面電車4番と24番が走っています。)
この道が 昔からホーボーケンとアントワープとを結ぶ重要な道となっていました。
更に昔には この道を南下するとHemiksemヘミクセムという町があって
ここには大きな修道院がありました。
物語の中では ネロとイェハンおじいさんは
Leuvenルーヴェンに行く道の道端で倒れているパトラッシュを見つけたとされていますが
それがこのSint-Bernardse steenweg聖ベルナルト石通りです。

この道は ホーボーケンからアントワープに向かって 緩い下り坂になっています。
ですから ネロとパトラッシュにとっては 荷車が重い行きは下り坂で
空の荷車を牽く帰りは上り坂になります。

聖ベルナルト石通り



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Sint-Bernardse steenweg聖ベルナルト石通りを 450m程北上しますと
交差点があって
左側の道はHendrikleiヘンドリック通り 右側はJulius de Geyter straatユリウス・デ・ガイテル通り
と違う名前になっていますが
ここまでが 今日のホーボーケン区です。
ここから先は アントワープ区になります。
ただし アントワープの中でも ここ先の地域はKielキールと呼ばれていて
アントワープの人でも このあたりがアントワープ区に属していると知っている人は少ないようです。

Julius de Geyter straatユリウス・デ・ガイテル通りを入って行きますと
500m程の左手に 競技場が見えます。
Beerschotstadion ベールシュコット競技場で
1920年に行われた 第七回オリンピック大会の主会場として建てられたものです。

オリンピックアントワープ大会競技場入り口

今では Germania Beerschotゲルマニア・ベールシュコットというサッカーチームの本拠地となっています。


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第七回オリンピック大会は 1920年に
この地域を中心として開かれました。

アントワープオリンピック1920

ボートやカヌー競技は Scheldeシュケルデ川で行われました。
今でも この界隈には
行われた競技の名が付けられた道が残されています。
ゴルフ通り/ポロ通り/ホッケー通り/マラソン通り/テニス通り/サッカー通り/陸上競技通り・・・・

第一次世界大戦後初めてのオリンピック大会ということで
戦場となったベルギーが開催地として選ばれました。
また 敗戦国となったドイツ/ハンガリー/オーストリアは参加が許されませんでした。
その当時のオリンピック大会は
今のものとは規模が違っていて ずっと小さいものでした。
参加国29ヶ国 参加選手数2591人
その内 女性は僅か 78人でした。
この時代は まだ 女性がスポーツをすることは一般的ではなかったのです。

この大会は 日本人が初めてメダルを取った大会でもあります。
(テニスで銀メダルを獲得しました。)

1920年8月14日から29日まで行われたこの大会で
初めて オリンピックの五輪の旗が使われました。
また 開会に当たって 選手宣誓をするようになったのも この大会からです。

今日まで名前が残っている選手としては
グレース・ケリーGrace Kellyの父であるジャック・ケリーJack Kellyがカヌーで銀メダルを取りました。
また スウェーデンの射撃選手オスカー・スワーンOscar Swahnは 72歳で銀メダルを取り
大会史上最高齢のメダリストとなりました。

第七回オリンピック アントワープ大会開会式



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けれども オリンピックが開かれたのは
ネロが亡くなってから50年ほど後のことです。

それでは更に先に進んでみましょう。

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