ホーボーケン




「フランダースの犬」の舞台となったのは 大聖堂のあるアントワープと
ネロやパトラッシュ イェハンおじいさんやアロア一家が住んでいたとされるホーボーケン村ですが
ホーボーケンは アントワープ市の中心から5kmほど南に位置しており
この小説が書かれた当時は村でしたが
今現在は アントワープ市に編入されており
ベルギー王国フランダース州アントワープ県アントワープ市ホーボーケン区
(オランダ語の発音ではベルギエ王国フラアンデレン州アントウェルペン県アントウェルペン市ホーボーケン区) となっています。


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小説の中では 戸数20件ほどの集落となっていますが
実際には1870年代初めのホーボーケンの人口は2700人ほどでした。
ですから ホーボーケンの中の一つの集落ということで 彼らの住んでいる場所を描写したのか
それも全くの創作として描いたのかのいずれかだと思われます。

ホーボーケンの地名の由来は hoog beukenで これは
hoog=高い beuken=beukぶなの複数形 ですので「高いぶなの木々」ということになります。
ぶなは ベルギーでは最も一般的な木で ベルギー中どこにでも生えています。
しかし ホーボーケンは (今でもシュケルデ川沿いに Hobokense Polder>と言われる湿地帯がありますが)
湿地帯であるために ぶなの木の成長が他の場所よりも早かったためにこの名が付いたようです。

ホーボーケンの名が出てくる最も古い文献は
1135年のもので そこではHobuechenと記されています。

ホーボーケンの紋章は
わりと新しいもので
1948年に決められました。
これは ホーボーケンが1717年にウルセルUrsel家の領地となった時から
フランス革命の時まで使われていたものを流用したものです。


Wapen Hoboken Wapen Hoboken
ホーボーケンの紋章

Wapenschild Ursel

ホーボーケンの紋章


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Hoboken_oudeteken
聖母教会とホーボーケン

Hoboken_schietpaal
ホーボーケン(年代不詳)

ホーボーケンは1870年頃までは
農家がほとんどの 農村地帯でした。
つまりホーボーケンに住んでいたのは
農民か酪農家でした。
ホーボーケンの村の中心の広場 キオスク(東屋)広場には
「Hobokenaar」(ホーボーケンの人)と題された銅像があります。

den Hobokenaar
(「De Hobokenaar」(ホーボーケンの人))

農夫が手押し車を押している姿ですが
何を運んでいるのでしょうか?
この銅像は ホーボーケンの人に付けられた「あだ名」を基にしたものです。

ヨーロッパにおいては 古くは古代ギリシャから そしてフランダース地方でも中世から
町村ごとにその土地の人々を言い表すあだ名が付けられていました。
それらは その土地の人々の気質や性格から来ているものだけではなく
産業からきているものもありました。
昔 農地で唯一の肥料は糞でした。
ホーボーケンの人々は 汚水溝から農地まで
手押し車に糞桶を載せて運びました。
ここから ホーボーケンの人々を
「糞すくい」と言うようになりました。
また
「ホーボーケンでは農民が糞を煮炊きする」
という言い方も 古くから見られます。


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「フランダースの犬」の中で描写されている
ホーボーケンの風車は 実際にあったものです。
1545年のオラニエ公の財産目録に初めて記されているもので
360年間ホーボーケンに建っていました。
物語の中でも「赤い風車」と書かれていますが
地元でもそう呼ばれていました。
15世紀以来の伝統で
中近東から伝わった(そもそも風車は中近東が発祥ですから)
馬のたてがみの油と 亜麻仁油と 赤粘土を混ぜたものが塗られていたからです。
これを屋根に塗ることが 木材の保護になりました。

ホーボーケンの赤風車
ホーボーケンの赤風車


物語ではアロアの家のものとなっていますが
実際には ホーボーケンを領地としていた
ウルセルUrsel家のもので
それをある農家に貸していました。

1905年に売りに出され 解体されてメッヒェレン Mechelen近くの村Puursピュールスに移築されましたが
1927年に取り壊されました。

今は 本物を5分の1に縮小した 高さ6メートルの風車が
元々あった場所の近くに建てられています。

Eikenlei 樫の木通りと Onderwijserstraat 教育者通りとの角の
小学校の校庭です。
小学校の敷地内ですから すぐそばに行って見ることは出来ません。
その近くに Windmolenstraat 風車通り という道がありますので
そもそもはその道に面して建っていたようです。

ホーボーケンの風車
ホーボーケンの風車

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「フランダースの犬」の最後で
ネロとパトラッシュの遺体が葬られた教会が
キオスク広場の近くの
「聖母生誕教会」です。
この教会は 850年程の歴史を持っていますが
今現在の建物は
石造りの部分とレンガ造りの部分とがあるのがはっきりと分かりますが
レンガ造りの部分は1880年から建設されたものですので
ネロたちの時代にはありませんでした。

この教会の中には
「奇跡の十字架」あるいは「黒い神」と呼ばれる十字架があります。

ホーボーケンの「黒い十字架」
ホーボーケンの「黒い神」

これは 今からおよそ800年前に 嵐の時にシュケルデ川の岸に流れ着いた十字架で
初めから黒かったのでこの名が付けられました。
そして 誰もこの十字架を白く塗ることは出来ませんでした。
白く塗っても いつの間にかまた剥げて黒くなってしまったとのことです。
十字の交差部に キリストが磔になった十字架の木片が収められている
聖遺物箱となっています。
1584年に ホーボーケンの全域を焼く火事の時にも この十字架だけは無事でした。

この十字架によって ホーボーケンは巡礼地の一つとなりました。

ホーボーケンの聖母生誕教会
ホーボーケンの聖母生誕教会

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ブリューゲルの絵に ホーボーケン村が描かれています。

ペーテル・ブリューゲル(一世)「ホーボーケンの村祭り」
ペーテル・ブリューゲル(一世)「ホーボーケンの村祭り」


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ホーボーケンの歴史において大きな転機となったのは
1882年でした。
この年に ホーボーケンにCockerill Yards コックリル・ヤーズ造船所が作られました。
そのために ホーボーケンには大量の労働者が暮らすようになります。
今でも ホーボーケンにはその当時の「労働者住宅」が残されています。
(今でも実際に住まわれています。)
東洋の造船業に押されて斜陽だったヨーロッパの造船業界において
コックリル・ヤーズ造船所の繁栄は例外的でした。
工業化されたことによって
ホーボーケンの人口は1870年代以降 急激に増えていきます。


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現在のホーボーケンの人口は 34400人程です。
ホーボーケンの村の中心の広場は キオスク(東屋)広場といいます。
これは 1895年にアントワープにおける万国博覧会で使われた鉄製の東屋をホーボーケン村が買い取って
この広場に置いたことからきています。
ただしこの東屋そのものは 1951年に撤去されましたので 今は残されておらず
広場の名前として留められているだけです。

ホーボーケン(キオスク広場のキオスクと区役所)
ホーボーケン(キオスク広場のキオスクと区役所)」

この広場には「De Hobokenaar」(ホーボーケンの人)と題された銅像があります。
「ネロとパトラッシュ」の銅像を作ったのと同じ人の作品です。

このキオスク広場では
毎週月曜日と土曜日の午前中に市が開かれます。
この広場に面して 「Patrasche」というレストランがあります。
レストラン Patrasche

もう一軒 「Patrache」というペット用品屋さんが 広場の反対側(路面電車の終点近く)にあります。
ペットショップ Patrache

また キオスク広場から二分ほど歩いたところのLambrechtstraatに
Nelloという幼稚園があります。


1870年代以降 ホーボーケンは急速に工業化して
周りの村よりも早くに農村としての性格を失ったにもかかわらず
この広場周辺は
今でも地元の人々には「村」と言われています。

この広場からすぐのKapelstrrat カペルストラート(礼拝堂通り)に
ネロとパトラッシュの銅像が建っています。

ネロとパトラッシュの銅像
ネロとパトラッシュの銅像

1985年に建てられたもので
フランダースの犬を取り入れた「ズスケとウィスケ」という漫画を出版し
その後 「フランダースの犬」のオランダ語訳の本を出版した
de Standaardという出版社がスポンサーになって作られたものです。
(以前はそのすぐ後ろが インフォメーションセンターになっていましたが
ただし 2008年末に新しく建てられた区役所の中に移転しました。)
この道に 上記の「黒い十字架」を祭る礼拝堂がかつてあったので
「礼拝堂通り」の名となっています。

広場から5分ほど歩くと
かつてあった本物を5分の1に縮小した 高さ6メートルの風車が
元々あった場所の近くに建てられています。

Eikenlei 樫の木通りと Onderwijserstraat 教育者通りとの角の
小学校の校庭です。
小学校の敷地内ですから すぐそばに行って見ることは出来ません。


Nello en Patrasche plein という広場がホーボーケンにはあります。
これは 新興住宅地に新たに作られた広場が名付けられたものです。

そして
ネロとパトラッシュは
ホーボーケン区の親善大使となっています。


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他のホーボーケン

アメリカ合衆国にもホーボーケンがあります。
ニューヨークからハドソン川の対岸にあたるニュージャージーにホーボーケンがありますが
多分 フランダース地方のホーボーケンから名付けられたと思われます。
ニューヨーク周辺に住み着いた最初のヨーロッパ人はオランダ語を話す人々でした。
(ニューヨーク New Yorkは初めは ニュー・アムステルダム Nieuw Amsterdamと呼ばれていました。)

その後 1873年から1934年にかけて
ベルギー人20万人を含むおよそ260万人の移民が
ヨーロッパからアントワープを出航する船(Red Star Line)でアメリカに渡ってきましたが
その多くはニュージャージー周辺に住み着きました。
しかしその頃にはすでにホーボーケンの地名は付けられていて
1784年にここの土地を手に入れた John Stevens ジョン・スティーヴンスによって名付けられたようですが
なぜこの名になったのかは定かではありません。


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