ネロの時代のホーボーケン




ネロの生きていた時代
1855〜1871年頃のホーボーケン村は どういう様子だったのでしょうか?

ウイダは こう記しています。


村は、フランダース地方にあり、アントワープから5キロばかり離れていました。
まわりには、広々とした牧草地と、とうもろこし畑に挟まれた平野が広がり、
平野を横切る運河のほとりには、ポプラとハンノキの長い並木がそよ風に吹かれて揺れていました。
村には、およそ二十軒ばかりの家と農家がありました。
その家々は、雨戸は明るい緑か空色で、屋根はばら色か白と黒のまだらに塗られ、
壁は日差しに照らされると雪とみまがうほどに真っ白に輝くのでした。
村の中心の少しこけの生えた斜面には、風車小屋が建っていました。
風車小屋は、あたり一帯の平野からは、よい目印になっていました。
かつて風車小屋は、帆も何もかも真っ赤に塗られていました。
しかし、それは、まだ風車小屋ができた頃の話で、もう半世紀以上も前のことでした。
当時は、この小屋はナポレオン将軍の兵士のために小麦を挽いていたのでした。
今や、風車小屋は赤茶色でした。長年の風や日射しで色あせてしまったのです。
 風車は、時々まるで年取って痛風や関節炎になったかのように奇妙な具合に動きました。
けれども、近隣一帯の人たちはみな、この風車小屋で小麦を挽いていました。
きっと、よそに小麦を持っていくことは、村の小さな灰色の教会で行われるミサに行かず、
よその教会のミサに行くのとほとんど同じくらいに不信心なことであると村人たちは考えていたに違いありません。
その教会は、丸いとがった尖塔があって、風車小屋の反対側に建っていました。
教会の一つしかない鐘が、この地方一帯の鐘に共通した、
奇妙に沈んだ、うつろな悲しい響きを響かせながら、朝昼晩に鳴らされました。

 ネロとパトラッシュは、ほとんどの生涯を、時を告げるもの悲しい鐘の音が聞こえる場所で一緒に暮らしていました。
二人が住んだ村のはずれの小屋の北側にはアントワープの大聖堂の尖塔がそびえ、
小屋との間には、どこまでも続く緑の草原ととうもろこし畑とが、まるで満ち引きすることのない海のように広がっていました。



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アントワープ郊外の農婦たち
アントワープ郊外の農婦たち


ネロたちが暮らしていたホーボーケン村は 農村でした。


キールの風車
キールの風車

典型的な「フランダース風車」です。
この当時には このような風車がまだたくさん残されていましたが
1870年代以降は どんどん取り壊されてしまいます。


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この当時のホーボーケン村の実際の人口は
およそ2700人でした。
ただし まだ農村として農業が主体の
ということは ウイダが描写したように
畑が広がっている地域でした。
しかし 1870年代に入ってからは 急速に工業化され
農村としての性格は失われていきます。


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村の中心にある聖母生誕教会は
ウイダの描写のように
この当時はまだ 石造りの部分だけの建物で
(その後 今日見られるような煉瓦造りの部分が建て増しになりました)
ですので 大きさも今よりはずっと小さいものでした。
(その当時の写真が見つかっていませんので 画像を掲載できません・・・)


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ホーボーケンは川に面していますが
(ただし村の中心は川には面していません)
ネロの死後 1870年代に入ってから
銀メッキ工場や 造船所が作られ 急速に工業化しました。
この写真は ネロの時代の後のもので
 ホーボーケンのシュケルデ川沿いに
すでに工場が建てられています。

ホーボーケンの川岸
ホーボーケンの川岸

ネロの時代に 村の南に要塞が築かれました。
アントワープを取り囲む要塞の内の8番の番号が付けられています。


ホーボーケンの第八要塞入り口


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ホーボーケンは 農村でしたが
アントワープ郊外の田園風景の中に
幾つもの館が築かれていました。
特にホーボーケンが工業化されてからは
工場経営者たちの館が建てられましたが
ネロに時代にも すでに幾つか「城」と名付けられた建物がありました。


ホーボーケンの城


ゾルグ・フリート城 Sorg Vliedt


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ホーボーケン駅



ホーボーケンのLageweg低通り



ホーボーケンのモレトゥス橋大通り


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