ネロとパトラッシュの歩いた道〜(2)

キール



【Sint-Bernardse steenweg 聖ベルナルト石通り】→【Kolonel Silvertopstraat シルバートップ大佐通り 】→【Kielsepoort キール門】




聖ベルナルト石通り Sint-Bernardse steenwegを真っ直ぐに進みます。

左手424番地にあるのが

Dierendispensarium
「ネロとパトラッシュ」
これは ベルギーの第二王子ローラントLaurent王子が主催している 動物愛護団体で
(正確には 低所得者でも愛玩動物を飼えるようにと 一定の所得以下の人が僅かな年会費を納めることによって
その間 ここで無料で獣医に診てもらうことができる というところです)
ベルギー国内では ブリュッセルとアントワープとリエージュの三ヶ所にあるうちの一つです。

ここの建物は 大きい集合住宅になっていますが
1925年(昭和元年)に建てられたもので
その当時としては とてもモダンな建物でした。


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更に聖ベルナルト石通り Sint-Bernardse steenwegを真っ直ぐに進みますと
やがて こういう建物が左手に見えます。

Tir

「Tirティル」と呼ばれていた建物で ネロの時代にはまだ建っていませんでした。
1880年に建てられた そもそもは町の自衛団の射撃演習場でしたが
今は中が立て替えられて「den Tirデン・ティル」ショッピングセンターとなっています。

ホーボーケン(聖ベルネルト石通り)
聖ベルナルト石通り(左端にTirが見えます)


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更に聖ベルナルト石通り Sint-Bernardse steenwegを進みますと
左手に教会が見えます。

聖カタリーナ教会(キール)

聖カタリーナ教会 St.Catharina kerkです。
この教会は ネロが生きていた時代 1870年頃に建設が始まったものです。
ネロは毎日 この教会が建てられていく様子を見ていたかもしれません。
ただし 完成するのは1914年です。

道路の反対側は公園になっています。
キール公園 Kiel parkといいますが
このあたり一体は もうホーボーケンではなくて キールと呼ばれている地域です。


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実は この今日キール Kielと呼ばれている地名が アントワープのそもそもでした。
アントワープは ごく初期の集落は今の町の中心よりも南に位置していて
そのあたりは Kyleと呼ばれていました。
これは フランク族の付けた地名で 入り江を意味しているようです。
また Caloesという地名も 聖アマンドゥスという人の書いた文献に出てきますが
これもやはり今のアントワープ旧市街の南の部分のことでした。
そのKyleが変化してKilからKielになり 町が北の方に広がっていく過程で
Antwerpenが町の名となり Kielは地域の名として残り
さらに 場所もずれて 本来よりも南の地域がKielと呼ばれるようになりました。
(そもそものKyleは次ページに出てくるスペイン要塞のあたりでした。)
Kielはアントワープの一部なのですが
しかし長い間アントワープの町と分断されてきました。
16世紀にアントワープの町の南部に築かれたスペイン要塞を通り超えなければ
アントワープからキールには行けませんでした。
更に1865年には新たな要塞が築かれ
1967年には高速道路が作られ
今でもアントワープとキールとは分断されています。

キールのねずみ
キールのシンボルのねずみ


キールのシンボルは ねずみです。
1899年に アントワープのサッカーチームから
およそ四分の三のメンバーが脱退し 新たなチームを作りました。
その中の一人の父親がキールに土地を持っていたので
そこでスポーツクラブを始めました。
その新しいチームは「Beershot]と名付けられましたが
アントワープの人々はそこの選手とサポーターたちのことを
「ベールシュコットのねずみ」というあだ名で呼ぶようになりましたが
後にはキールの住人たちのことをもそう言うようになりました。
そのために ねずみがキールのシンボルとなっています。


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今現在は アントワープとホーボーケンとの間のこの地域がキールKielと呼ばれていますが
キールは18世紀末のフランス統治以後は 幾度も大きな大変動を体験しました。
フランス統治になってから それまであった町の自治権が失われて アントワープ市に編入されました。
1814年には ナポレオンの訪問のために 全ての住民は立ち退かされて 全ての家屋が取り壊されました。
1830年の独立戦争の時には スペイン要塞にいたオランダ軍との戦いのために蹂躙されました。
そして1859年には 新たに要塞が築かれました。

それが 今のキール公園です。
ですので この公園の中に 第一次世界大戦の時にこの地域出身で戦死した人たちの記念碑が置かれて
その周りには いつでも花が植えられています。
1859年に要塞が築かれた時に
規則によって 要塞から585m以内の石造りや煉瓦造りの家や壁は全て取り壊されました。
そして新たな建物は 木造で造られました。
その後 1880年には要塞から墓地へとなりました。
アントワープの昔の城壁内から 墓地を無くすことになったのです。
沢山のお墓がここに移転されました。
そして 立派な建物が建てられました。

キール墓地

(しかし その墓地も50年ほどしか使われず
1948年までに全ての遺体は更に郊外の別のSchoonselhof墓地に移され ここは公園になりました。)

この教会の前の広場に面して こういう建物が建っています。

Vets

二階の窓の上の1859とという数字が見えるでしょうか?
つまり1859年に建てられた ということはネロが幼少の頃に建てられた 木造の家です。
ネロの頃には この界隈ではこういう建物が一般的だったのでしょうか。
上記のように 1859年にこの界隈の建物は木造に建て替えられましたので
このような建物が並んでいたのですが
今でも残されているのは この建物一つだけです。
そもそもは ビール醸造所として使われていましたが
その後 上記のように現在のKielparkキール公園が 要塞から墓地に変えられてから
ビール醸造所から葬儀屋さんに替わりました。
19世紀末には アントワープでは知らない人はいないと言われるほどに
有名な葬儀屋さんでした。

Vets
聖ベルナルト石通り(一番左が 上記の1859年の建物です)

キール墓地
キール墓地


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まもなく大きい交差点に着きます。
そこを(公園沿いに)右に曲がりますと その道はシルバートップ大佐通り Kolonel Silvertop straatという名前になります。
すると前方にこういう建物が見えます。

Silvertop

シルバートップ高層住宅群です。
シルバートップ Silvertopというのは英語の名前ですよね。
どうして道路や建物が英語の名前になっているのかというと
1944年9月4日にこのキール門Kielse Poortからアントワープへと進入して
アントワープをドイツの占領から開放したイギリス軍を率いていたシルバートップ大佐の名が付けられているからです。
(本当は中尉だったのですが その功績により大佐に昇級しました。)

シルバートップ高層住宅群は 1958年に建てられたもので
この時代のヨーロッパ大陸においてはまだ珍しい高層住宅でしたので
同年にブリュッセルで行われた万国博覧会を見に来た人々が アントワープまで足を伸ばして
この建物の建設の様子を見に来たそうです。
一棟に126のアパートが入っていました。
しかし 老朽化したために中を改築していて(全て終えるのに十年かかります!)
(青棟および赤棟と呼ばれる)二棟だけ工事が終わっています。

1945年までは Nieuwe Steenweg新石通りと呼ばれていたシルバートップ大佐通り Kolonel Silvertop straatのあたりは
アントワープ周辺でも 以前と様子が大きく変わった地域の一つです。
1967年には高速道路と環状道路を作るために区画整理されたからです。


交差点が キール門 Kielse Poortと呼ばれていたところです。
この交差点の下に駅があります。アントワープ南駅 Antwerpen Zuid Stationです。
今は利用者が少ないので無人駅になっていて 僅かな列車しか止まりません。
以前は南駅はもう少しシュケルデ川寄りあって とても立派な建物でした。

Antwerpen zuid station アントワープ南駅
Antwerpen zuid station(1900) 1900年頃のアントワープ南駅

万博が終わってから 大西洋岸に行く旅客のための駅として建てられたものです。
しかし 1898年の完成ですから ネロの時代にはまだありませんでした。
1965年に取り壊されて 代わりに今の駅が作られました。

そして そこの交差点には 以前はこういう門が建っていました。

Kielse Poort キール門
Kielse Poort キール門

キール門 Kielse Poortは
アントワープの町を取り囲んでいた城門の一つです。
今日では すでに取り壊されて残されてはいませんが
しかし 名前としては ここの交差点は今でもキール門 Kielse Poortと呼ばれています。


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キール門 Kielse Poortを入るとアントワープです。


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→→→3)アントワープへ


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