「フランダースの犬」に出てくるルーベンス作品

〜「十字架を立てる」〜

(「キリスト昇架」)



ルーベンス「キリスト昇架」

ルーベンス33歳の頃(1610年)の作

この作品は そもそもはこの大聖堂の中に収められるために作られたものではありません。
川岸のステーン城の近くに 以前あった
聖ワルブルグ教会の主祭壇のために描かれたものです。
けれども その聖ワルブルグ教会が1817年に取り壊されたため
その前年1816年に この大聖堂へと移されました。
これにより「キリスト降架」と対を成す形で展示されることになります。

ネロは 「十字架を立てる」(「キリスト昇架」)と「十字架から降ろす」(「キリスト降架」)の二つの祭壇画を見ることが夢でした。
しかし これらの絵には幕が引かれていて 特別料金を払わないと見せてもらえなかったのです。

「パトラッシュ、あれを見ることができたらなあ。あれを見られさえしたらなあ」
「あれ ってなんだろう?」とパトラッシュは思いました。
そして 大きな 思いやり深い 同情的な目でネロを見上げました。
 「あれ」というのは 聖歌隊席の両側に掲げてある 布で覆われた二つの名画のことでした。
名画の前を通り過ぎる時 ネロはそれを見上げながら パトラッシュにつぶやきました。
「あれを見られないなんて ひどいよ パトラッシュ。ただ貧乏でお金が払えないからといって!
ルーベンスは絵を描いたとき 貧しい人には絵を見せないなんて 夢にも思わなかったはずだよ。
ぼくには分かるんだ。ルーベンスなら 毎日でも いつでも絵を見せてくれたはずだよ。絶対そうだよ。
それなのに 絵を覆いをしたままにしておくなんて! あんなに美しいものを 覆って暗闇の中に置いておくなんて!
金持ちの人が来てお金を払わない限り あの絵は 日にも当てられないし 人の目に触れることがないんだよ。
もし あれを見ることができるのなら ぼくは喜んで死ぬよ。」

けれども ネロはその絵を見ることができませんでした。
そして パトラッシュはネロを助けることができませんでした。
というのは 教会が「キリスト昇架」と「キリスト降架」の名画を見るための料金として要求している銀貨を得ることは
あの大聖堂の高い尖塔のてっぺんによじ登ることと同じくらい 二人にとっては難しいことでした。
二人には 節約する小銭さえありませんでした。ストーブにくべる少しばかりの薪や なべに煮るわずかのスープを買うことが精一杯でした。
それでも子供の心は 何とかしてあのルーベンスの二枚の名画を見たいという という限りないあこがれに満たされていました。



この二つの祭壇画は
フランダースの祭壇画の典型として
三連画になっています。
つまり 中央のパネルと 左右二面のパネルとで構成されており
左右のパネルは扉状になっていて
礼拝する時には開けられ 礼拝しない時には閉じられる という作りになっています。
今は いつでも開いた状態で展示されています。
この「キリスト昇架」は 開いた状態で見たときに
三枚のパネルがひとつながりの場面として描かれています。
中央のパネルには
キリストが釘付けにされた十字架を立てようとする途中の斜めの状態が描き出されています。
(ですので この状態は「十字架を立てる」場面であって
これを「昇架」と言い表すのは適当では無いと思われますが なぜかこれが一般的な呼び名となっています。)
これにより バロック絵画の基本的な構図である
「斜め」が使われています。
なぜバロックの基本構図は「斜め」なのでしょうか?
これは 一つには「動き」を出すためです。
バロック芸術が目指したものは 「動き」の表現でした。
漫画などでも 動いている自動車などを表現する時に 斜めに描きます。
(実際に自動車が斜めになる訳ではないのですが
それによって 確かに動いている感じは表現されています。)
では なぜ バロック芸術は「動き」を表現しようとしてのでしょうか?
全ての芸術様式は その土地のその時代の人々の集合的な心理を表現したものです。
あるいは 集合的な気持ちが表現されてしまっているものです。
バロック芸術の時代とは
ヨーロッパにおいていは 宗教改革が起き 新教と旧教の対立があり
それを理由に沢山の諍い・戦いが起こり
やがては フランス革命という封建制度の崩壊へと繋がっていく時代でした。
あるいは 大航海時代が始まり 自然科学が発展し
カトリックがそれまで説いてきた教えに疑問がでてきて
カトリックの権威が揺らいだ時代でもありました。
更に 大航海時代の始まりにより
それまでヨーロッパには無かった様々なものが
新大陸(アメリカ大陸)やアジアから ヨーロッパにもたらさせるようになり
人々の生活が非常に変化した時代でした。
その様な 宗教的にも 政治的にも そして一般の日常生活においても
「変化」と「不安定」が多く ということは
つまり 人々の心が不安定になっている時代でした。
その「変化」と「不安定さ」が 「動き」の表現として現れています。
けれども なぜ「斜め」なのか
「斜め」というのが何を表しているのか(あるいは 何が表されているのか)というと
ゴチック様式の理念である「地から天へ」の垂直の直線の動きから
人々の信仰心が「傾いた」ということです。

もう一つ 斜めの動きとは
縦の動きと 横の動きとの中間です。
この場合の「中間」とは バランスが取れているという意味の「中道」ということではなく
どっちつかずという意味での「中間」です。
つまりここでも
ゴチック様式の時代の 人々の「地から天へ」の垂直の直線の心の動きから
(あるいはそれを理想とする気持ちから)
中途半端な状態へと変わったのが感じ取れます。

このような 十字架が立てられる斜めの状態を描くのは
ルーベンスが初めてという訳ではなく
1500年代後半から すでに他の画家たちによってなされていました。
ですから 誰かの作品のこのような構図を見て ルーベンスは
この作品の構想を思い付いたと思われます。

キリストの身体が斜めに描かれているだけではなく
左のパネルの左下の女性や子供たちの一群も
キリストの身体と同じ傾きに描かれています。
右パネルの青空は それに直角にぶつかる斜めに描かれています。
更に この絵の中の全ての人物が 斜めのポーズで描かれています。
この様に 斜めの構図で「動き」が感じ取れるだけでは無く
部分部分にも斜めを使うことによって
この絵の全体から「動き」が発散されています。


全ての人物が 大げさなポーズ・大げさな表情で描き出されています。
男性は皆 筋肉マンです。
死んでいくキリストでさえ・・・
全ての人物像が
実際にはとらないようなポーズで描かれ
実際にはしないような表情で描き出されています。
そして 全ての人物像が 「斜め」に描かれています。
この絵を一目見ての印象は
「ドラマチック」
でしょうか。
非常に劇的な表現が際立っています。
しかし 全ての人物像が
実際にはありえないような 大げさなポーズや表情で描き出されているのを見ると
この絵に表されている ルーベンスをはじめとするバロック美術の表現の特色が
はっきりと見て取れるかと思います。
バロック美術とは 「躍動感」や「劇的」な雰囲気を表すために
「大袈裟」な「芝居がかった」表現をした
一言で言うと
「はったり」
だということが。

では なぜ このような「大袈裟」な「はったり」の表現をしたのでしょうか?
それは バロック美術が生まれた理由から理解できるかと思います。
ルーベンスをはじめとするバロック美術が生まれたのは
宗教改革が起きた後 ベルギーやオランダにも新教(プロテスタント)が広まり
それを統治者であったスペイン王が弾圧し オランダが独立していった時代の後でした。
新教プロテスタントは それまでのキリスト教カトリックにおける様々な腐敗を暴き正させようとしました。
そして 聖書だけをよりどころとすることによって
一人一人が神と交われる という立場を取りました。
(カトリックの場合には 聖職者のみが神と交わることができるとしています。)
その 聖書だけをよりどころとする という立場は
聖書に書いていないことは否定する という考え方でもありました。
カトリックでは 様々な 聖書には書いていない決まりがありました。
それらをプロテスタントは否定しました。
その一つが 諸聖人の存在であり
もう一つが 宗教美術です。
カトリックでは 様々な「聖人」を認めていますが
それらに関して 聖書には何も書かれてはいません。
カトリックの教会では 様々な宗教美術作品が置かれましたが
(実際には 祭壇画や彫刻は祈りのための道具であって 美術では無いと言えるのですが)
それらに関しても 聖書の中では何も言われていません。
ですので ベルギーにおいては
1560年代に
プロテスタントの人々が
カトリック教会内の美術品を壊してしまう
「聖像破壊運動」というものが起きて
そのために教会内の諸美術品が大量に失われてしまいました。
アントワープでは聖像破壊運動が起きたのは 1566年でした。
ルーベンスが生まれたのは 1577年でした。
カトリックが 大量に新たな美術品を必要としている時代に生まれたのです。
そして カトリックは 新教の出現によって
大量に信者を失ってしましたので
新たな信者獲得のために
世界伝道に乗り出します。
そのために イエズス会が結成されました。
しかし 世界伝道に当たっては 様々な障害がありました。
その一つが 言葉でした。
世界中どこでも同じ言語が話されている訳ではありません。
そこで カトリックは 世界伝道に当たって 様々な取り決めをしました。
その内の一つに
宗教美術は「一切の言葉を使わずに 一目見ただけで理解できる」ように作られるべきだ
というものがありました。
ルーベンスの絵がなぜ 大袈裟な芝居がかった表現をしているのか
それは これらの絵が
カトリックの世界伝道に当たっての道具としての役割を持っていたからです。
言葉での一切の説明無しに 一目見ただけで「すごい!」と思わせて信者にしてしまおうという
伝道のやり方での つまり伝道の道具として あるいは
カトリックを広めるための「看板」あるいは「広告」として作れられたものなのです。
つまり 一目見たときの「インパクト」が何よりも重視されたのです。
ですから 素晴らしい「躍動感」であり 「劇的表現」なのです。
しかし・・・・
この絵を見て
(伝道されている立場に立って見たとき)
宗教心は湧いてくるでしょうか? 信仰心は湧いてくるでしょうか?
敬虔な気持ちは湧いてくるでしょうか?
多分 湧いてこないと思います。
劇的な表現をとっているがために
ものごとの「本質」は 表現されていないのです。
この絵のテーマは何なのでしょうか。
キリストが もうすぐ死んで行く・・・その死によって
全人類の罪があがなわれる
というカトリックの基本教義が この絵から感じ取れるでしょうか?
ルーベンスを代表とするバロック美術は
外面的な効果のみを狙った「はったり」であって
ものごとの本質を表現しようとしているものでは無い
というのがその最大の特徴ですが
それは これらのスタイルが生み出されたこのような理由からなのです。


ルーベンスは
二十歳代の約8年間 イタリアで過ごして
勉強をしたり 仕事をしたりしました。
そのイタリア滞在中に 沢山のイタリアの(特にルネッサンス)美術に触れることになります。
それによって
ティチアーニ/ミケランジェロ/カラヴァッジョ といった画家たちからの影響を受けることになります。
この「キリスト降架」の絵でも
はっきりと
構図と色使いとにティチアーニの影響が
肉体の描き方にミケランジェロの影響が
陰影や短縮法の表現にカラヴァッジョの影響が
見て取れるかと思います。

しかし その様に イタリア美術の影響を受けながらも
この33歳の時の作品によって
ルーベンスは
「彼のスタイル」を確立した
と言われています。

(ですので イタリア・ルネッサンスからの流れで捉えると
ルーベンスの絵には 素晴らしい「躍動感」が感じ取れると思います。
しかし ベルギーでは イタリア・ルネッサンス美術に触れることはまずありませんから
ルーベンスだけを見ると
「大袈裟」な「芝居がかった」「はったり」の表現に見えてしまうかもしれません・・・・
そして まさにこれが 「ルーベンスのスタイル」なのです。)

しかし この作品は
その二年後に完成された
(後述する)「キリスト降架」に対する評価と比べると
ルーベンスの作品としては それほど高くは評価されていません。
この絵は
ナポレオン統治の時代に ナポレオンの命で
「キリスト降架」と共に パリに持っていかれてしまいました。
ナポレオンの統治が終わってから返還されましたが
その運搬の時にこの絵はかなり破損してしまい
その後 三人の女性画家の手によって修復されました。
この破損と修復とによって
そもそものこの絵のルーベンスのエネルギーのかなりが損なわれ失われてしまったことに
この作品が それほど高くは評価されていない その理由の一つがあるようです。
この絵の画面を見てみると
木の板の継ぎ目がかなりはっきりと分かります。
表面が平らではなく でこぼこしているのも見て取れます。
(他の絵ではこれらは見えません。
フランダース地方は ヨーロッパの中で唯一
絵に適した木の板 つまり
表面が平らで 継ぎ目が見えず 絵の完成後も反ったり歪んだり割れたりしない板を
産出していました。)
これらも 運搬の時の破損とその後の修復の質を表しています。

この作品は そもそもはこのように掲げられていました。

聖ワルグルク教会の主祭壇
聖ワルグルク教会の主祭壇

聖ワルグルク教会の主祭壇は
このように 階段を上がったところにあり
従って この絵は 下から見上げるように見られることを前提に作られています。
そして 現在の「キリスト昇架」の絵の上にも小さな絵があるのが見えます。
この面には 父なる神の姿が描かれていました。
ですから 「キリスト昇架」の中のイエスが目を上に向けているのは
この父なる神を見ているためです。

この作品の 中央のパネルの左下部分に
犬が描かれています。
小説「フランダースの犬」に
こう書かれています。
パトラッシュは ルーベンスは犬が好きだったことを知っていました。
そうでなかったら あんなに見事に生き生きと犬の絵を描けなかったでしょう。
そして パトラッシュが知っていたように 犬が大好きな人は だれでも皆 憐れみ深いものなのです。

この絵に描かれている犬は
この絵を描いた当時 ルーベンスが飼っていた犬であり
この犬の名前が「パトラッシュ」でした。

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中央パネル 高さ460cm 幅340cm
両翼 高さ460cm 幅150cm

制作報酬 2600グルデン

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