「フランダースの犬」に出てくるルーベンス作品

〜「十字架から降ろす」〜

(「キリスト降架」)


ルーベンス「キリスト降架」
⇒こちらで大きい画像が開きます。)

ルーベンス35歳の頃(1612年)の作

この作品は この大聖堂内の火縄銃ギルドの礼拝室の祭壇画として描かれました。
この絵も フランダースの祭壇画の基本である三連画の構造をとっています。
(三連画の説明は「 キリスト昇架」の項を御参照下さい。)
この絵も 今は常に開かれた状態で展示されていますので
閉じた状態は見られませんが
閉じた時に左右二面が繋がるように描かれています。
左側のパネルの閉じた時の面に描かれているのは 肩に子供のキリストを担いだ聖クリストファーです。
右側のパネルには 暗闇の中でカンテラを灯す修道士が描かれています。
この絵を注文した 火縄銃ギルド(火縄銃を持って教会を警備する人たちの組合)の守護聖人として
聖クリストファーが大きく描かれています。
クリストファーは 身体が大きく とても力持ちでした。
ですので この地上で最も力の強い存在に仕えたいと思っていました。
彼は ヨルダン川の渡し守をしていましたが
ある嵐の夜に彼の小屋を訪ねてきたのが 子供のキリストでした。
その嵐の中を どうしてもヨルダン川を渡らせてほしいということで
肩に担いで渡り始めました。
しかし 小さいキリストが 肩にずしりずしりと重くのしかかってきます。
「どうしてそんなに重いのか?」尋ねると キリストは答えました。
「おまえの肩には私が担がれているが 私の肩には全世界が担がれているのだ」と。
この時の様子が このパネルに描写されています。
そして 反対側のパネルの 暗闇の中でカンテラを灯す修道士は
(この様に開いた状態では左右が離れているので分かりにくいですが)
クリストファーの肩の上のキリストを照らしています。
これはまた キリストの教えが この闇の世の中を照らすことを象徴しているのかもしれません。

ルーベンス「キリスト降架」聖クリストファーと修道士(スケッチ)
ルーベンス「キリスト降架」聖クリストファー

さて 開いた面を見てみましょう。
この絵は 三枚のパネルそれぞれが 違う題材で描かれています。
左のパネルに描かれているのは 「マリアのエリザベス訪問」です。
大天使ガブリエルのお告げを受けて身ごもったマリアが
その二ヵ月後 いとこに当たるエリザベスを訪問したシーンです。
(カトリックでは 受胎告知が3月25日 マリアのエリザベス訪問は5月31日とされています)
二人でお腹を指差して 身ごもったことを語り合っています。
この二人が主人公ですので
一緒に来たヨゼフは 脇役として描かれています。

マリアが被っている帽子は
この絵が描かれた頃 流行していたものでした。
つまり その当時の最新ファッションが描き出されているということになります。
どうしてでしょうか?
ルーベンスの絵を見てみると どれも大きな画面で
描かれている人物像は 見ている私たちと同じ大きさ=等身大に描き出されています。
その様な表現のし方と 最新のファッションとは同じ理由からなのです。
「キリスト昇架」の項で触れたように
ルーベンスの絵のスタイルは
カトリックの世界伝道のための道具としての役割と関わり合っています。
これらの絵を見せるに当たって
ここに描かれている場面というものは
決して 今から何千年も前の 見知らない土地での出来事なのではなくて
この場面は 今 見ている私たちの目の前で繰り広げられているんだ
私たちは この場面に居合わせているんだ
という錯覚を起こすために
人物を等身大に描き そして その当時の最新のファッションで描き出されているのです。
つまり 「劇的表現」と共に 「臨場感」が
バロック美術の目指したものだということです。

一番右のパネルに描かれているのは
「神殿奉献」です。
今から二千年前のユダヤでは
一家に長男が生まれると 生まれてから40日後に神に捧げるために神殿に連れて行く慣わしがありました。
(その前に「割礼」のために すでに神殿には連れて行っているのですが
出産後の 母親の「不浄期間」が過ぎてから 改めて神殿に行きました。)
将来キリストと呼ばれることになるヨシュアは
ヨゼフとマリアの長男として生まれましたので
このように神殿に連れて行かれて シメオン老人に手渡されました。
(ちなみに キリスト教では イエスに兄弟姉妹はいなかったとされています。
これは イエスの「神の一人子」としての
そして 母マリアの「神の一人子」を産んだ「聖母」としての
神聖さを強調するためであって
実際には イエスには弟や妹がいました。
新約聖書にも兄弟の名が記されています。)

左側のパネルでの聖母マリアは
(聖母マリアの服の色は 青と決まっているはずなのに)
赤い上着を羽織っています。
右のパネルでは シメオン老が やはり赤い服で目立っています。
そして 中央のパネルでは
キリストの下の一人が(ヨハネですが)
やはり 赤い服で目立っています。
どうしてこの三人は このように目立たされているのでしょうか?
この絵を注文した火縄銃ギルドの守護聖人は
聖クリストファーですが
しかし彼は 実在の人物であるという確証が無いので
開いた面=礼拝をする時の面には描いてはいけない
というバチカンの規則があったのです。
しかし 火縄銃ギルドとしては 守護聖人ですから描きたい・・・
そこで 閉じた面に聖クリストファーを大きく描き
開いた礼拝する時の面には聖クリストファーの代わりに
キリストを担いでいる人を描いて
その人たちが 聖クリストファーの代わりなんだと分かるように
赤い服で目立たされているのです。

さて
中央のパネルが この「キリスト降架」と題された絵の
本当に その主題を描き出している部分になります。
しかし この絵を見てみると
「キリスト昇架」や「聖母被昇天」とは
随分と違った表現がされているのに気付きます。
とても凝縮感を高めた そして 緻密な表現になっています。
背景はほとんど黒です。
人物は皆 大袈裟なポーズも表情もとっていません。
全体として「静寂感」が感じ取れます。
つまり
「キリスト昇架」が「動」を表現しているのに対して
この「キリスト降架」は「静」を表している という
とても対照的に描かれているということになります。
この凝縮感や静寂間によって 一体何が表現されているのでしょうか?
キリストの周りの八人の人々が
いかに心を込めて この偉大な人の亡骸を十字架から降ろそうとしているか
その気持ちが表現されて伝わってきます。
「キリスト昇架」で見たような はったりや大袈裟な表現では無く
それと全く対照的な
真摯な気持ちが表現されています。
つまり 「祈り」の心に通じる・・・・

「キリスト昇架」では 全体が 左上から右下へという斜めの構図をとっていましたが
この「キリスト降架」は逆に 右上から左下への斜めの構図になっています。
なぜでしょうか?
この絵全体の凝縮感が この斜めによって生かされているからです。
斜めには 左上から右下へという斜めと 逆に 右上から左下への斜めと
二つの可能性がありますが
傾きの方向によって印象は違ってきます。
なぜならば 時間をはじめとするエネルギーの流れには決まった向きがあるからです。
時間(もエネルギーの一つですが)をはじめとする多くのエネルギーは
左から右に流れています。
これは 例えば 横書きの文章が 左から右に書かれることにも表れています。
行を目で 左から右に字を追うのと 逆に右から左に字を追うのとでは
なんとなく感じが違います。
あるいは 身体を右回り=時計回りに回転させた時と
逆に左回り=反時計回りに回転させた時とでは
感じが違います。
あるいは このエネルギーの流れは
右利きの人が多い理由でもあります。
エネルギーは 左から入って 右から出て行くから
エネルギーが出て行く 右手で「作る」行為をするようになっています。
(そもそも 「左」は「火足り」で エネルギーが入ってくる側であることを
「右」は「水気」で エネルギーが流れ出て行く側であることを意味しています。)
ですので 斜めの傾きも
左上から右下へという斜めは 「ディミヌエンド」を 逆に
右上から左下への斜めは「クレッシェンド」を表すことになります。
つまり 左上から右下へは 「弛緩」を
右上から左下へは 「緊張」を 表すことになります。

ですので この「キリスト降架」の絵では
右上から左下への構図によって 「緊張」を作り出している訳ですが
しかし もっと良く見ると その斜めの中で
画面の左下の三人の女性たちからは 右上に上がってくエネルギーの流れが
画面の右上の男性たちからは 左下に下りてくるエネルギーの流れが出ていて
それが 真ん中のキリストの身体で合わさるようになっています。
背景がほとんど黒で その中で キリストの身体の色と
その背後にある白い亜麻布とで キリストの身体が浮き上がって見えますが
更には その様なエネルギーの流れが
キリストに 集まるように描かれている訳です。

その様に 視点はキリストに集まるようになってはいるのですが
しかし・・・・
この絵の中で 特に際立っているのは
画面の左下に描かれている三人の女性たちの顔の表情であり
その中でも特に 右下の女性
つまりキリストの足が肩に掛かっている女性の顔の表情ではないでしょうか。
とても澄み切った表情をしています。
そして その眼差しは
目の前にあるキリストの死体を見ているようではありません。
もっとずっと遠くを見つめているように見えます。
この女性は マグダラのマリアです。
(キリスト教においては 娼婦から改心してキリストに従ったとされていますが
キリストの復活を最初に見た人なのにも関わらず なぜか聖書の中でその後の彼女は無視されます。
これは キリスト教が それ以前のユダヤ教からの「男尊女卑」の思想を受け継いだためですが
実際には マグダラのマリアはキリストの弟子となり いわゆる12人の弟子の誰よりも優れており
かつ キリストと結婚して 子供をもうけました。
近年「マグダラのマリアによる福音書」が発見されたことにより
これら真実がだんだんと明かされるようになって来ました。)
この 彼女の表情と眼差しとは 何を表現しているのでしょうか?
それは
この目の前のキリストという偉大な人が
素晴らしい愛の教えを人々に伝えようとしたのもかかわらず
それは その当時のユダヤやローマの人々には難し過ぎ
かつ 生活を実際的に良く(あるいは楽に)してくれる 政治家(王)の出現を期待した民衆にとっては
キリストが政治家になるつもりは無く 宗教家に留まったということで
期待を裏切られたと感じたことによって
たった三年伝道しただけで 死刑になって死んでしまいました。
しかし このマグダラのマリアの表情に表れているのは
キリストの伝えようとした愛の教えは永遠のものであって
その教えは これから先 人々の心に引き継がれていくであろうという確信であり
その 愛の教えの永遠性を見つめる眼差しが描き出されているのです。
つまり この絵に表現されているのは 決して
「大袈裟な」「芝居がかった」「はったり」では無く
「理想」であり「象徴」だということになります。
この絵の 凝縮感と緻密さとは この「理想」と「象徴」とを表すためのものだとも言えるかもしれません。

更に
三人の女性の顔を見比べてみると
それぞれが違った表情や眼差しで描き出されていますが
そこには 一つの意図があるようです。

ルーベンス「キリスト降架」から 三人のマリア
⇒こちらで大きい画像が開きます。)

上の女性は聖母マリアです。(衣装の青で分かります。)
左下の女性は (ヤコブとヨセフの母)マリアです。
そして 右下の女性が マグダラのマリアです。
聖母マリアの顔は 何を表現しているのでしょうか?
彼女は何を見ているのでしょうか?
過去を見ているようです。
目の前のキリストの死体を通して
キリストの過去を見ているような眼差しが描かれています。
そしてその苦難に満ちた人生への涙が 目頭に光っています。
もう一人のマリアは何を見ているのでしょうか?
彼女の顔の表情には
目の前にある キリストの死体を見ている
つまり キリストの現在を見ている様子が表されているようです。
僅か三年の伝道生活をこのような死で終えてしまった
その死を悼む涙が頬に光っています。
そして マグダラのマリアは
キリストの(教えの)未来を見つめています。
ですから 彼女の澄み切った顔には 涙はありません。
この様に 三人の女性がそれぞれ
キリストの 「過去」と「現在」と そして「未来」とを見つめる
表情や眼差しの描き分けによって
更に キリストの教えの永遠性が表現されているようです。
「三」という数は キリスト教においては
大切な数です。
「三位一体」の「三」だからです。
それと共に 「三」は「過去」「現在」「未来」をも表しています。
この様な三人の女性の表情を使った描き分けは
ルーベンスが多用した 芝居がかった描き方では表現できなかったでしょう。
その点でも この絵の緻密な表現が生かされています。

この絵全体から 醸し出されている
静寂と緊張
それは 心を落ち着かせながらも 心を一つの方向へと向けていく
つまり
「祈り」
の気持ちを表しているのではないでしょうか。
それは この絵を見た私たちの気持ちをその様に導くためであるかもしれません。
しかし それと同時に
この作品を作り出したルーベンスという人が
どういう気持ちでこれを制作したのか
ということの表れでもあるかもしれません。
この作品は ルーベンスの作品としては
ほぼ一年という とても長い制作期間をかけられました。
幾度も下絵を描き直しています。
その様にして 構想を練りに錬って 素晴らしい作品を作り出そうとしたのは
美しい作品 素晴らしい作品を作り出すことによって
その作品に触れた人々の心が 今まで以上に美しくなるように
その作品を見た人々の人生が 今まで以上に素晴らしくなるように
という
「祈り」
を籠めて作り出した ということであり
その「祈り」の気持ちを
私たちは 絵の前に立って
この絵から発散されているエネルギーとして体感しているのではないでしょうか。


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中央パネル 高さ420cm 幅310cm
両翼 高さ420cm 幅150cm

制作期間 1611年9月〜1612年9月(中央画面)
1614年初め(両翼)


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