ネロの時代のアントワープ




ネロの生きていた時代
1855〜1871年頃のアントワープは どういう様子だったのでしょうか?

ウイダは こう記しています。

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フランダースは美しい土地ではありません。
なかでも ルーベンスで有名な アントワープのあたりは おそらく一番美しくなかったでしょう。
トウモロコシ畑とナタネ畑 牧場と畑が 特徴のない平野に互い違いに広がっていました。
そして それがいやというほど繰り返されていたのでした。
平野にぽつぽつと立っている荒涼とした灰色の塔の 感傷的な鐘の音の響きがなければ
あるいは 落ち穂拾いの束やたきぎの束を抱えた人が何人か荒野を横切り 絵のような趣を添えなければ
どこも変わりばえせず 単調で 美しくもありませんでした。
山や森の中に住んでいる人ならば 果てしなく続く広大で陰気な平原に退屈して気が滅入り 牢屋に入れられたような気分を味わったことでしょう。


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アントワープの町には あちこちに古い黒ずんだ古風な でも荘厳な石造りの教会がいっぱいあります。
曲がりくねった路地の奥の中庭に建っているのもあれば 屋敷の門や居酒屋に挟まれて建っているのもありましたし
運河のほとりに建っているのもありました。
塔から鐘の音が空に鳴り響いたり アーチ形の扉からは音楽がもれ聞こえてくることがありました。
現代の商業の都のむさくるしさ あわただしさ 人混みの多さ みにくさの中で 大きな古い聖地が残されていました。
一日中 塔の上では雲がたなびき 鳥は円を描いて飛び 風がそよぎます。
そして その聖地の地下には ルーベンスが眠っていたのです。

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曲がりくねった道を進むとき 淀んだ運河の水のそばにたたずむとき
そして騒がしい中庭を過ぎるとき ルーベンスの魂が私たちにまとわりつき ルーベンスの堂々とした美の幻影が 私たちのそばにあります。
そして かつてルーベンスの足取りを感じ ルーベンスの影を映した石だたみは
今にも起きあがって生き生きした声でルーベンスについて語り出すように思われるのです。
ルーベンスのお墓があるというだけで アントワープの町は今も有名です。


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アントワープの町は 波止場で商売をする商人を除いて誰も見たいとは思わないような 陰気で薄汚く 騒々しい港町に過ぎません。

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ゴッホ 「アントワープの港」(1886年)
ゴッホ 「アントワープの港」(1886年)


19世紀後半の聖母大聖堂の中の様子
19世紀後半の聖母大聖堂の中の様子
右側の壁に「キリスト降架」の絵が掲げられています。



アントワープの魚市場(1868年)
魚市場(1868年当時の様子)
シュケルデ川沿いのステーン城の横にあった魚市場は
その後取り壊されて 今は残されていません。



川沿いの木造家屋
川沿いの木造家屋
上記魚市場の近くには このような木造家屋が並んでいました。
(これらも取り壊されて今は残っていません。)



アントワープの牛乳市場(1867年)
聖母大聖堂の裏手にある牛乳市場(1867年当時の様子)
ここにネロとパトラッシュは毎日農家から集めた牛乳を運んでいました。



19世紀後半の川沿いの様子
19世紀後半の川沿いの様子


町の北側にある港(19世紀末)
町の北側にある港(19世紀末)


証券取引所
証券取引所(1872年完成)


乗合馬車
乗合馬車


ホーボーケンからキールを通ってアントワープに入っていくあたりの1860年頃の様子
ボーボーキールを通ってアントワープに入っていくあたりの1860年頃の様子


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