フランダース地方やアントワープではそれ程に知られていない理由



なぜ 舞台となったフランダース地方やアントワープでは それ程に知られていないのでしょうか?

その理由は幾つかあるようでが
大きく分けると 以下の二つでしょうか。

☆ この物語の中で フランダース地方のこと/フランダースの人々のこと/
アントワープの町のこと/アントワープの人々のことを
良く表現していない部分が多い


☆ イギリスの大衆小説家が書いた本であり
しかし 子供向け文学としては 結末が暗い


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まず 第一に
この物語の中で フランダース地方のこと/フランダースの人々のことを
あるいは アントワープの町のこと/アントワープの人々のことを
良く表現していない部分が多い
ということですが
これは 多く分けると 四つの面があるようです。

★ 作者の動物愛護者の立場から見た フランダースの人々の動物との接し方
★ フランダース/アントワープの印象
★ 作者の芸術家としての立場から見た アントワープの人々
★ ネロとパトラッシュを村八分にし 飢えと寒さとで死なせてしまったアントワープの人々


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★ 作者の動物愛護者の立場から見た フランダースの人々の動物との接し方

この小説の第一のテーマとなっているのは 「動物愛護」
あるいは「人間と動物との関わり合い方」ではないかと思われます。

作者ウィダは 動物愛護にとても力を入れていました。
彼女は イギリスに住んでいる間に
動物を大切にしない人たち 虐待する人たちを相手取って
幾つもの訴訟を起こしました。
そして 多い時には30匹以上の犬と一緒に暮らしていました。
それらの犬には 専用の厨房で作った特別の料理を食べさせ
まさに「犬御殿」での生活をさせていました。
そういうウィダがフランダースで見たものは
荷車を牽かされる犬たちでした。
犬が(牛や馬と同様に)労役に使われるのは 大陸では一般的なことでした。
しかし それはイギリス生まれのウィダにとっては 虐待以外の何ものでもなく
人間として許しがたい行為でした。


「パトラッシュは、フランダース地方で何世紀にもわたって先祖代々酷使される種族の子孫でした。
奴隷の中の奴隷であり、人々にこき使われる犬畜生であり、荷車を引くのに使われる獣でした。
彼らは、荷車の苦々しさに筋肉を痛め、道の敷石で心臓が破裂して死んでいったのでした。」

「パトラッシュは、悪態を食べ、殴打で洗礼を受けました。なぜそれがいけないのでしょう?
ここは文明国、キリスト教国です。そして、パトラッシュは犬に過ぎません。」


 「パトラッシュの生活は、地獄の生活でした。
まるで動物に対して地獄の拷問を行うことが『地獄は本当にある』という自分の信仰を示す方法であるかのように思っている人々がいます。
パトラッシュの買い手は、陰気で、邪悪で、残忍なブラバント生まれの男で、
荷車につぼ・なべ・びん・ばけつやいろいろな瀬戸物や金属類をいっぱいに積んで、パトラッシュひとりに力の限り荷物を引かせていました。
その間、男はといえば、太った体でのんびりとパイプをふかしながらのろのろと荷車のそばを歩き、
街道沿いにある酒屋や茶屋を通り過ぎるたびにきまって腰をおろすのでした。

パトラッシュは、鉄の種族の生まれでした。その種族は、情け容赦のない労苦に従事するために長年繁殖させられたものでした。
そういうわけでパトラッシュはひどい重荷を負わされ、むちうたれ、飢えと渇きに苦しめられ、なぐられ、ののしられて、すっかり疲れ切ってしまっても、
何とかみじめに生き長らえることができたのでした。
こうした苦しみが、もっとも忍耐強く、よく働く四つ足の犠牲者に対してフランダースの人間が与える唯一の報酬でした。


パトラッシュは病気で死にそうになり、動かなくなりました。彼の主人は彼が持っていたただ一つの薬を与えましたーー
それは、パトラッシュを蹴り、ののしり、そして、樫の木の棍棒でなぐることでした。
これらは、これまでもしばしばパトラッシュに提供されるただ一つの食べ物であり、報酬でもあったのです。
しかし、パトラッシュはどんな拷問も悪態も、手の届かないところにいました。
しばらくして、いくら肋骨をけとばしても、いくら耳元でどなりつけても役に立たないと分かり、
このブラバンド生まれの男は、パトラッシュが死んでしまったか、死にかけていて、
誰か死体の皮を剥いで手袋を作らない限りはもう役に立たない、と思いました。
そこで、別れのはなむけにはげしくののしり、引き具の皮ひもをとりはずし、パトラッシュの体を道路の脇の草むらまでけとばしました。
このように死にかけた犬は置き去りにして、ありがかんだり、カラスがつついたりするのに任せておきました。」


 「彼がパトラッシュに費やしたお金はほとんどないに等しい状態でした。
そして、2年もの長い、残酷な月日を、朝から晩まで、夏も冬も、天気のよい日も悪い日も、絶え間なく酷使し続けたのです。
彼は、パトラッシュを利用するだけ利用しつくし、けっこうな利益をパトラッシュから得ていました。
しかし、彼は人間らしくずる賢く、犬が溝で最後の息を引き取るにまかせておきました。
カラスがパトラッシュの血走った目をえぐりだすかもしれませんが、
「彼は、ルーヴェンで物乞いをしたり盗んだり食べたり飲んだり、踊ったり歌ったり、楽しむために、道を進んでいきました。
死にかけた犬、荷車引きの犬ーーなぜそんなものの苦しみに付き合って時間を無駄にし、
少しばかりの銅貨を稼ぎそこなったり、笑うような楽しい思いをふいにしなければならない危険をおかさなければならないのでしょうか。」


 「パトラッシュは、道ばたの草むらが茂るみぞに投げ捨てられたまま、そこで横たわっていました。その日は人通りが多い日でした。
何人かはパトラッシュを見ました。ほとんどの人は、見向きさえしませんでした。皆、通り過ぎていきました。
死んだも同然の犬ーーそれは、ベルギー人にとって無価値でした。いや、世界中のどこだって、何の価値もなかったでしょう。」



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★ フランダース地方の印象

「フランダースは美しい土地ではありません。
中でも、ルーベンスで有名な、アントワープのあたりは、おそらく一番美しくなかったでしょう。
トウモロコシ畑とナタネ畑、牧場と畑が、特徴のない平野に互い違いに広がっていました。
そして、それがいやというほど繰り返されていたのでした。
 平野にぽつぽつと立っている荒涼とした灰色の塔の、感傷的な鐘の音の響きがなければ、
あるいは、落ち穂拾いの束やたきぎの束を抱えた人が何人か荒野を横切り、絵のような趣を添えなければ、
どこも変わりばえせず、単調で、美しくもありませんでした。
 山や森の中に住んでいる人ならば、果てしなく続く広大で陰気な平原に退屈して気が滅入り、
牢屋に入れられたような気分を味わったことでしょう。」


この様に フランダース地方を 良い印象で捉えていなかったようで
それを表現してしまっています。


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★ 作者の芸術家としての立場から見た アントワープの町と人々

 「ルーベンスがいなければ、アントワープの町は何だったというのでしょうか?
波止場で商売をする商人を除いて誰も見たいとは思わないような、薄汚くて陰気な、騒々しい市場町に過ぎません。
ルーベンスによって、アントワープの町は、世界中にとって、神聖な名前となり、神聖な土地となり、
芸術の神様がこの世に生まれたベツレヘム (イエス・キリストが生まれた地名)となり、
芸術の神様が亡くなったゴルゴダ(イエス・キリストが亡くなった地名)となったのです。

世の人々よ!あなたがたは国に生まれた偉人を大事にしなければなりません。
というのは、未来の人は、偉人によってのみ国を知るからです。
この時代のフランダースの人たちは賢明でした。
ルーベンスが生きている間、アントワープの町は、アントワープが生んだ最も偉大な息子に名誉を与えました。
そして、ルーベンスの死後は、アントワープの町はその名前を賛美します。
けれども、実を言うと、フランダースの人たちがこのように賢明だったことは、めったにありませんでした。」



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★ ネロとパトラッシュを村八分にし 飢えと寒さとで死なせてしまったアントワープの人々

ネロとパトラッシュとは
描いた絵をコゼツ旦那に取られ
アロアと親しくすることを禁じられ
風車の火事の原因について濡れ衣を着せられ
そして その様なコゼツ旦那に胡麻をすって同調する村に人々に
村八分同然の扱いを受けることになります。

コゼツ旦那が落とした 全財産の入った手提げを拾って届けとことから
コゼツはネロを受け入れようと改心しますが
それは時すでに遅く
翌朝 大聖堂のルーベンスの絵の前で
死んだネロとパトラッシュとが発見されます。

しかし この小説が書かれた1870年代は
まだまだベルギーはカトリックの国で
(そもそもベルギーは1830年にオランダから
カトリックの国として そしてフランス語の国として独立しました)
ですので 多くの人が (そのカトリックの教えがどのようなものであれ)
敬虔なカトリック信者として教会に通っていた時代です。
その様な ベルギーの人々にとっては
ネロとパトラッシュとが 村八分にされ
見捨てられるようにして 飢えと寒さとで死んで行くということは
考えられないことであり
その様なことをするはずが無い
というのが ベルギー人の考えです。
しかし 作者は

「パトラッシュは、悪態を食べ、殴打で洗礼を受けました。なぜそれがいけないのでしょう?
ここは文明国、キリスト教国です。そして、パトラッシュは犬に過ぎません。」


というように
そもそも
キリスト教(カトリック)に対して 好意的では無い書き方をしています。


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第二に
この小説は イギリスの大衆小説家が書いた本であり
しかし 子供向け文学としては 結末が暗い
ということも原因しているかもしれません。

今でこそ 様々な外国の書籍やテレビ番組が
ベルギーで訳されて読まれたり見られたりしていますが
この時代には まだ
子供向けのものが あえて訳されて出版されるということは
少ない時代でした。

そして
すでに触れたように
この小説の中には
フランダース地方や そこの人々について
アントワープの町や 人々について
良いことが余り書かれていませんし
この物語に描き出されている フランダースの人々の動物に対する仕打ちは
決して 子供向けの文学として適しているとは思えません。

更に
(夢を果たせずに)死んでしまう
という結末が
子供文学としてふさわしくない ということも
原因ではないかと思われます。
(従って ドイツで出版されている本では
最後にネロとパトラッシュとが
死んだのか眠ったのかが分からないような曖昧な描写となっています。)


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