ネロの時代の聖母教会




アントワープ聖母大聖堂

現在 聖母大聖堂と呼ばれている
アントワープの町の中心にある教会建築は
ネロの時代には大聖堂ではなく 地区教会でした。
フランス統治(ナポレオン)の時代に ローマカトリックの組織が変えられて
1801年に大聖堂から地区教会に格下げになったからです。
しかし どう呼ばれていたにしろ
ベネルクスのみならず 北ヨーロッパにおける最大の教会建築の一つであり
ブラバント・ゴチック様式の傑作の一つであることには変わりありません。

聖母大聖堂


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ネロが知っている聖母教会は1860年代から1870年代初めにかけてのものですが 丁度その時代
1800年代後半に入ってから 20世紀初めにかけて
この教会では沢山の改築や修復が行われました。
その内の一つが ステンドグラスであり
また 西側正面口でした。

上記の画像と 下のものとを見比べて下さい。

聖母大聖堂 現在の正面

絵の方は 必ずしも正確に描写されている訳ではないかもしれませんが
(そして 小さくて良く見えないかもしれませんが)
中央の入り口の部分が19世紀末から20世紀初めにかけて改修されました。
そして 古い絵では 入り口の左右に
教会から張り出して建物が建てられていますが
これらは撤去されました。

また この教会内のステンドグラスは
そのほとんどが
1867年から1890年にかけて作られたものです。
16世紀のものが六面 17世紀のものが四面残されていますが
それ以外のものは 全て ネロの死後作られたものです。


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19世紀後半の聖母大聖堂内部

この頃「十字架を立てる」(「キリスト昇架」)と「十字架から降ろす」(「キリスト降架」)の作品は
ほぼ今現在と同じ場所に掲げられていました。
小説「フランダースの犬」では
この二枚の絵が 隣り合わせに並べて掲げられているかのように描写されていますが
実際にはそうではなかったようです。

ルーベンス「キリスト昇架」
「十字架を立てる」(「キリスト昇架」)

ルーベンス「キリスト降架」
「十字架から降ろす」(「キリスト降架」)

ただし これら二枚に絵には
(上記の画像では その様にはなっていませんが。)
ネロの時代には 黒い垂れ幕が掛けられていて
特別拝観料を払わないと見せてもらえませんでした。

「キリスト降架」と垂れ幕


これが実際に どの時期に行われていたことなのかは定かではありませんが
「フランダースの犬」にそう描写されているということは 1871年にウイダがそれを見たということであり
第一次世界大戦前までは続けられたようです。
しかし 逆に 教会に入るのに入場料をとることはしていませんでした。
(ですからネロはこの教会に入ってくることができたわけです。)
今は 入場料を取っていますが
これは 教会が 祈りと瞑想の場としての宗教施設ではなく
観光の場となってしまっていることの証しでしょうか。
19世紀末までは
教会は その町の人々にとっては
宗教施設であると共に
町の中心の 社交の場でもありました。
教会の中では 礼拝や洗礼などが執り行われ
お祈りしている人々が居る中で
おしゃべりをしながら歩き回る人たちもおり
物乞いの人たちが出入り口にたむろし
鳩や蝙蝠が飛びかい
という様子でした。

アントワープ聖母大聖堂内部(Hendrik Van Steenwyck作)
アントワープ聖母大聖堂内部(作者不詳)
アントワープ聖母大聖堂内部(Pieter Neeffs de jong作)
(これら三枚の絵は いずれも17世紀後半の大聖堂内部の様子を描写したものです)


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