作者について(2)




小説「フランダースの犬」の作者 Ouida ウイダは
Maria Louise Ramé  マリア・ルイーズ・ラメーの本名で
1839年1月1日 イギリス サフォーク州 バリー・セント・エドムンズ Bury St. Edmundsに生まれました。

父親はフランス人の船乗りでフランス語の教師 母親がイギリス人で
子供の頃「ルイーズ」の名がうまく発音できずに「ウイダ」と言っていたのをペンネームにしたそうです。
(Ouidaの発音は フランス語のouiウイ+daダ で
英語ではoo+e+daと Ouida本人は書き記しています。ウイダの名声によって この名は19世紀後半から20世紀初めにかけて流行しましたが アメリカでは「weeda=ウィーダ」と発音されました。)

生まれた町バリー・セント・エドムンズの印象について このように記しています。
「その綺麗で静かな時代遅れの町は バーロウ地方で最も低く最も惨めで
私にいつもパーティーのために着飾ったオールドミスを思い起こさせる。
道路には1エーカーの牧草地と同じくらいの草が生えている。
住民たちは 自宅のドアのベルがあまりに使われなくて錆びないように自ら鳴らさざるをえない。」

父親が本を読み聞かせてくれるのに耳を傾けるのが大好きな少女でした。
特に 貴族や上流階級の人々の様子を描いたものに興味があったようです。
18 歳の頃にロンドンに引っ越しました。
ロンドンでは雑誌社New Monthly とBentley's Magazineで働き
1860年(21歳のとき)に最初の小説を出版して以来 小説を発表し続けました。
生涯に 小説・児童文学・短編集・エッセイなど40冊以上の本を出しました。

動きのある物語のスタイルと 説教じみていない爽やかさとが 人々の気まぐれな心をつかみ 非常な人気を博しました。
「二つの旗の下」と「Moths」が その代表作とされています。

雑誌に描かれたウイダの風刺画
雑誌に描かれたウイダの風刺画

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作風は 時期により幾つかのタイプに分かれます。
初期のものは 1860年代のセンセーショナリズムと 帝国拡大の夢と結びついた
大袈裟なフィクションによる典型的な冒険小説の混ぜ合わされたものでした。
後の作品は より 歴史的ロマンスになっていきますが 当時の社会への批評は止めませんでした。
また 幾つかの児童文学も書いています。

最も有名な作品の一つ「二つの旗の下」では 彼女のフランス人への深い共感と アラブ人への幾らかの同情がありながらも
アルジェリアにおける最も贅沢な時期のイギリス人を描き出しました。
この作品はその後劇化され 更に三回映画化されています。
もう一つの有名な作品 Idalia(本人によると16歳の時の作)のヒロインは
イタリアの独立に共鳴する反抗者であり 無邪気な少女でした。

ウイダの肖像画
ウイダの肖像画

彼女は背が低く かん高い声の持ち主でした。
若い頃には肌が透けて見えるガウンを身にまとい 花に囲まれて
ランガムホテルの政治家・作家・芸術家たちのサロンで(時にはベッドで)非常な人気を博しました。
女らしい策略と輝きとの組み合わせで 外交政策への彼女の影響力を確信して
彼女の有名な訪問者たちの耳に重要な提案を深刻な表情で吹き込みました。
後に フランスとイタリアに住んでいる時にも
地域住民と外国人とを 彼女の集会に引き寄せ続けました。

動物保護活動も盛んにし 一時は30匹以上の犬と暮らしていました。
犬専用の台所で フルコースの食事を作り
まさに「犬御殿」のようなところで犬たちを飼っていました。
また 動物を虐待する人たちを相手取って
幾つも訴訟を起こしました。
イタリアに旅行した後 1874年にイタリアのフィレンツェに引っ越します。
そのため それ以後の作品はイタリア風のものになります。ここでも 雑誌社のために働きました。

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ウイダは彼女自身を優れた芸術家だと信じていて 同時代の数少ない有名人だけが彼女と比類しえると思っていました。
彼女は主にバイロンから影響を受けていますが あらゆる種類の芸術家に興味を持っていました。
悲劇的な画家と歌手への同情的な描写が後期の作品の基調となります。
彼女の作品はしばしば ロマンチシズムと批評的な鋭さとが結び付けられていました。
小説「Puck」では 犬が話をし 彼の社会への見解を述べます。

「Views and Ophinions」には 彼女自身の声による社会問題に関するエッセイが収められています。


ウイダの晩年の肖像画
ウイダの晩年の肖像画


作品の出版でかなりの収入を得ましたが それを惜しみなく使い また作品の著作権を失ったことから
(初期の作品の再版は良く売れ続けましたが 彼女には何の収入ももたらしませんでした)
最後は僅かな年金のみの収入で貧困の内に
1908年にイタリアのヴィアレッジョ で肺炎のために世を去りました。
小説「フランダースの犬」のネロの最後のように
飼い犬を硬く抱きしめて亡くなっていたそうです。
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お墓がバッニ・ディ・ルッカ Bagni di Luccaの英国人墓地に
記念碑が生地にあります。

ウイダの墓
ウイダの墓


生地にある公募基金によって作られた記念碑(馬と犬の水呑場)には カーズン卿によって書かれた碑文が彫られています。
「彼女の友人たちがこの泉を彼女の生地に作りました。
ここで彼女の優しい魂は 彼女の愛した動物たちが水を飲むように 神によって癒されるでしょう。」

バリー・セント・エドムンズのウイダの記念碑
バリー・セント・エドムンズのウイダの記念碑(上部)
バリー・セント・エドムンズのウイダの記念碑
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ウイダの作品は
ほとんど全てが想像/空想によって書かれたフィクションです。
しかし  1871年にベルギーに来て
三週間ブリュッセルに滞在しましたが
ブルージュに一日 そして アントワープに一日
日帰りの旅行をしました。
このときの印象で書いたのが
「フランダースの犬」であり
実際に見たものの印象から書いた
彼女としては最初の作品が この
「フランダースの犬」です。

つまり アントワープで見た幾つかのものから
強い印象を受けたことが
この小説を書く切っ掛けになっています。
ルーベンスの絵
そして
荷車を牽かされる労役犬・・・・


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