日本での捉えられ方




「フランダースの犬」の物語は
日本には1908年に入ってきました。
この 日本へ入ってきた時の経緯については
www.Patrasche.net を御参照下さい。
初めての日本語訳が出版されて以来
少年少女向けの名作として 広く親しまれるようになりました。
ただし この時期に日本で親しまれるために
登場人物の名を ネロ→清 パトラッシュ→ポチ と変えてあります。
第二次世界大戦後は
旧仮名遣いから新仮名遣いへ 旧漢字から新当用漢字へと
書き方が改められていきましたが
依然として 少年少女向けの名作として読まれ続けました。
しかし なんといっても この作品の名を多くの人々に知らしめたのは
1975年(昭和50年)にテレビアニメとして週一回一年間にわたって放映されたことにあるかと思われます。
「世界名作劇場」として放映されたこのアニメは
平均視聴率25% 最終回には30%を超える視聴率をとりました。
毎週日曜日の夜に 日本のほとんどの家庭で唯一 一家団欒している時間に放映されたことで
親子揃って見られたこともありますが
この視聴率は その後の「小公女セーラ」や「アルプスの少女ハイジ」を上回るものです。
なぜ 三千万人を超える日本人が このお話しに惹き付けられたのでしょうか?



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日本で広く受け入れられ 親しまれた理由としては
日本人の民族性がそれを受け入れたということで
☆ 悲劇的な結末
☆ 「死」に対する観念
この二つが大きく関わっているかと思われます。


☆ 悲劇的な結末
日本人は「悲しい」表現が大好きです。
演歌がその代表でしょうか。
そもそも 日本の伝統音楽は 短調を基本としたものでした。
中国の音楽は 長調を基本としていますが
中国から日本に入ってきた楽器や音楽そのものが
次第に日本人の民族性に合うように変えられていきました。
中国のニ長調から 日本ではニ短調へと変わっていったのです。

あるいは 明治の開国後 様々な音楽が外国から入ってきましたが
どういう音楽が 一番日本人に受け入れられ 親しまれたでしょうか?
フランスのシャンソンでしょうか イタリアのオペラでしょうか?
ドイツ歌曲でしょうか ロシア民謡でしょうか?
これらの中では ロシア民謡が 最も日本人に広く親しまれたのではないかと思います。
なぜでしょうか?
感傷的だからです。かつ 短調の曲が多いからです。

あるいは 舞台劇も 悲劇的な内容のもの 感傷的な内容のものが
親しまれてきました。
明るい内容のもの 楽しい内容のものよりも
暗い 悲しいものが日本人には受け入れられてきたのです。
明るい未来を予感させる結末よりも
悲しい結末の方が日本人の心情には 受け入れやすかったのです。

平家物語を 楽しいと感じる人はどの位いるでしょうか?
勧進帳は 明るい内容でしょうか?

このように そもそも 日本人は
楽しい内容 明るい表現よりも
悲しい内容 暗い表現を好んで来ました。
それに対して 欧米人は その様な表現よりも
楽しい内容 明るい表現を好みます。
あるいは 「希望」を感じさせるものを喜びます。
特にアメリカ人はそうです。

これが フランダースの犬という 哀しい結末の話しを
日本では沢山の人が受け入れた半面
欧米では それ程には広く親しまれなかった理由の一つかと思われます。

それでは なぜ 日本人は暗い哀しい表現を好み
欧米人は 明るい楽しい表現を好むのでしょうか?

まず一つの理由は 人間の心と身体とは不可分だというところにあります。
心は身体の影響を受けます。身体が変化すると 心も変化します。
身体は心の影響を受けます。心が変化すると 身体も変化します。
身体の状態は心に現れ 心の状態は身体に現れます。
人間の身体には いろいろな器官があります。
そのいろいろの器官の どこにエネルギーが集まりやすいか あるいは集まりにくいかは
民族によって傾向があります。
日本人は 胃にエネルギーが集まりにくいのです。
ですから 日本人で一番多い癌は胃がんなのです。
あるいは胃潰瘍になる人も多いのです。
そして 胃は感情と関わりあっていますが
様々な感情の中でも 特に悲しみと関わりあっています。
哀しかったり辛かったりすると胃が痛みます。
胃が弱いということは 無意識のうちに 哀しいこと辛いことに惹かれてしまうのです。
哀しいこと辛いことを引き寄せてしまうのです。
そして そういうものに触れて 感情を引き出されるのが好きなのです。

そういう日本人の傾向は どこから来たのでしょうか?
そもそも 日本人とはどこから来たのでしょうか?
日本の他に 短調の音楽が主なのはユダヤです。
ユダヤ人たちの民謡はほとんどが短調です。
実は 日本人とユダヤ人とは深いつながりがあります。
ユダヤ人は 今から2600年ほど前に エジプトを追われ 住む国を失いました。
12のユダヤの民族は世界各地に散らばり
それ以後は 定住する自分たちの国を持たずに
それぞれの土地で「厄介者」として暮らしてきました。
12の部族のうち 10部族は行方が分からないとされています。
しかしその内の一つは 中国に行きました。
そして中国から日本へと渡ってきました。

ですから 日本語にはユダヤ人の使っていた言葉 ヘブライ語が入っています。
そもそも「日本」という国名ですが これは日本語なのでしょうか?
どうして 自分たちの国の名を 音読み(=中国の発音)の「ニホン」としているのでしょうか?
中国から見て 日が出る国だからでしょうか?
そうではありません。
「ニホン」とは ヘブライ語なのです。
「二」は従う 「ホン」は聖書を意味します。
つまり 「聖書に従う民の国」なのです。
それはすなわち ユダヤ人のことです。
そして今日使われている日本語には沢山のヘブライ語由来の単語があります。
例えば 漢字で書けない言葉です。
「あなた」「やばい」[「だべる」「やばい」など。
あるいは 漢字が当てはめられている言葉もあります。
日本語−ヘブライ語
モノ(物)−モノ(物)/ミカド(帝)−ミガドル(高貴なお方)/ヌシ(主)−ナシ(長)/
サムライ(サムライ)−シャムライ(守る者)/ヤリ(槍)−ヤリ(射る)/ホロブ(滅ぶ)−ホレブ(滅ぶ)/
ダメ(駄目)−タメ(ダメ・汚れている)/ニクム(憎む)−ニクム(憎む)/ユルス(許す)−ユルス(取らせる)/
コマル(困る)−コマル(困る)/ハカル(測る)−ハカル(測る)/トル(取る)−トル(取る)/カク(書く)−カク(書く)/
スム(住む)−スム(住む)/スワル(座る)−スワル(座る)/ツモル(積もる)−ツモル(積もる)/
  ナマル(訛る)−ナマル(訛る)/アリガトウ(有難う)−アリ・ガド(私にとって幸福です)/
  ワラベ(子供)−ワラッベン(子供)/アタリ(辺り)−アタリ(辺り)/オワリ(終わり)−アハリ(終わり)
あるいは音はそのままで 意味が分からずに使われている言葉もあります。
鳥居=門/虎=トーラー(律法)の巻 など。
日本語の中には 計3500ほど ヘブライ語由来の単語が入っているということです。

そして 言葉だけではなくて
音楽もまた ユダヤの傾向が引き継がれました。
それがすなわち 短調を好むという傾向性です。
あるいは 楽器の演奏において
ヴァイオリンなどの擦弦楽器の演奏に秀でているのが
ユダヤ人と日本人です。

このように ユダヤ民族とのつながりから
悲しい表現を好む という共通した傾向があるのです。


☆ 「死」に対する観念
そういう悲しい表現を好む日本人にとっては
フランダースの犬の話しの結末で
15歳の少年ネロと 老犬パトラッシュとが
飢えと寒さで死んでいくというのは 充分に涙を絞られるに値するものです。
そして それはまた
日本人と欧米人との 「死」に対する観念の違いでもあります。

欧米人にとっては 「死」というものは何なのでしょうか?
死んだら その後はどうなるのでしょうか?
これが キリスト教社会で最も分からない点ではないかと思います。


「死」に関しては
「死後」のことと そしてもうひとつ 「死に方」とがあります。

日本人にとっては そもそもは
生まれ変わりというのは ごく自然な 当たり前の考え方でした。
魂は永遠不滅で その魂が肉体に宿って
転生輪廻(あるいは輪廻転生)している という考え方です。
この考え方は 第二次世界大戦後にはだんだんと失われていって
今日では 日本でも多くの人が生まれ変わりについて知らないようですが
その理由としては
1)戦前の天皇制を否定することから 日本の古来からの文化全般を否定するようになったこと
2)それに代わって ヨーロッパの唯物思想を受け入れたこと
3)「科学」というもので説明できることしか受け入れなくなったこと
などが挙げられるでしょうか。

戦後 生まれ変わりについて知らない人が多くなったことと連動して
死ぬということ あるいは「死に方」に対する考え方も 以前とは変わってきました。
日本人にとっては 「どう死ぬか」はとても大切なことだったのです。
その現れの一つが「切腹」でした。
あるいは「潔く死ぬ」ということでした。

死への対し方 あるいは死に方に対する考え方は
日本でも時代と共に変化していますが
しかし それでも欧米と日本とでは
違いが大きいのではないでしょうか。

日本においては
ネロとパトラッシュの死に方は「悲しい」ものであって
しかし「惨め」なものではありません。
でも欧米人(特にアメリカ人)にとっては 「悲しい」のではなくて「惨め」なのです。
(ただしこれは 大人の捉え方であって 子供のではありません。
子供は欧米でも「悲しい」と捉えるようです。)

ただし アニメではもしかしたら充分に表現されていないかもしれませんけれども
ネロは その死を自ら選択し 決意し 受け入れたのです。
ということは そのときのネロの気持ちを汲み取ることによってこそ
この話しを通して 作者ウイダが表現し伝えたかったことが明らかになるのではないでしょうか。



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