アントワープのルーベンス作品




アントワープ市内には
以下のルーベンス作品があります。
(ただし 完成作品のみ挙げてあります)


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1) 聖母大聖堂
「キリスト昇架」(1610年)
「キリストの復活」(1612年)
「キリスト降架」(1612年)
「聖母被昇天」(1626年)

2) ルーベンスの家
「アダムとイブ」(1597年頃)
「アントーン・ファン・ダイクの肖像」(1616年)
「自画像」(推定1623年頃または1630年頃)
「受胎告知」(1628年以前)
その他 下絵

3) 聖ヤコブ教会
「聖家族(聖母を囲む聖人たち)」(1639年)

4) ロコックスの家
「聖母子」(1615)
その他 油彩下絵一点

5) 聖カルロス・ボロメウス教会
建物正面の彫刻のデザイン(1615〜1621年)
塔の設計(1615〜1621年)
主祭壇の設計(1615〜1621年)
木りんご礼拝堂の天井(1622〜1625年)

6) 聖パウロ教会
「聖体拝領」(1608年)
「東方の三博士」(1609年)
「キリストの鞭打ち」(1615年)

7) プランタン・モレテュス印刷博物館
「セネカの死」(1616年)
その他
ルーベンスの手紙/本の挿絵と表紙のデザイン画/プランタン・モレテュス家の人々の肖像画(ルーベンスのアトリエ製)

8) 王立美術館
「キリストの洗礼」(1605年)
「十字架のキリスト」(1610年)
「トーマスの不信心」(1615年)
「キリストの嘆き」(1614年)
「ヴィーナス・フリギダ」(1614年)
「オウムの聖家族」(1614〜1630年)
「藁の上のキリスト」(1617年)
「聖フランシスコの最後の聖体拝領」(1618年)
「放蕩息子」(1618年)
「槍の一突き」(1620年)
「東方の三王」(1624年)
「三位一体」(1620年)
「ヤン・ガスパール・ゲヴァルティウス」(1628年)
「諸聖人に囲まれる聖母の戴冠」(1628年)
「アヴィラの聖テレジア」(1630〜35年)
「聖母の教育」(1630〜35年)

その他 油彩スケッチ6点




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1) 聖母大聖堂

アントワープ旧市街に聳え立つ
アントワープの町の守護聖人である聖母マリアに捧げられたゴチック様式の大聖堂。
1352年から1521年までかけて建設されました。
ただし 大聖堂となったのは1559年のことで
ですから 大聖堂としてでは無く
地区教会の聖母教会として建てられたものです。

詳しくは「聖母大聖堂 」の項を御参照下さい。


2) ルーベンスの家

画家ペーテル・パウル・ルーベンスは
1610年頃から亡くなる1640年までの約30年間を
このアントワープで生活し 創作をしていましたが
その生活と創作の場であったのが
この「ルーベンスの家」です。
外観が はっきりと
左側の 煉瓦造りの部分と
右側の 石造りの部分とに分かれていますが
煉瓦造りの方が フランダースの世俗建築様式による住居の部分
石造りの方が イタリア・バロック様式による アトリエの部分となっています。
そもそも 煉瓦造りの建物が建っている土地を1610年末 三十代はじめの時にに買い
そこに 自ら設計したアトリエを建て増ししました。
ルーベンスが実際に生活し創作をしていた建物ではありますが
彼の死後 未亡人によって売却され その後人手を転々としました。
その間に沢山の改築が行われ また
煉瓦造りの部分と 石造りの部分とは 別々の所有者のものとなっていました。
1937年にアントワープ市に買い取られて
ルーベンスの家として修復されましたが
実際にそれぞれの部屋を彼がどの様に使っていたのは
全ての部屋で特定できる訳ではありません。
ですので おおよそ「こうであっただろう」としつらえてありますが
置かれている調度品 展示されている絵画・彫刻などは
全て ルーベンスの時代のものです。


3) 聖ヤコブ教会

ルーベンスが日々通っていた地区教会。

今日の姿のゴチック様式の建物の建築は1491年に始まりました。
その設計には 聖母大聖堂の設計も担当した その時代を代表する建築家たちがあたっています。
しかし 財政難のために建築は難航し
1656年に中止されました。
そのために 本来 聖母大聖堂を模した塔を(しかしそれよりも高く150メートルに)建てるはずだったのが
高さ55メートルで中途半端な形になっています。

建物自体は 後期ブラバント・ゴチック様式ですが
内装は バロック様式で
北西ヨーロッパにおける もっとも壮麗なバロック教会の一つとなっています。
この地区には(ルーベンスをはじめとして)裕福な人々が住んでいたために
質の高い美術品を所有しています。


4) ロコックスの家

ルーベンスと同時代のアントワープ市長 ニコラース・ロッコクスの住居。
美術愛好家・美術品収集家としても知られていました。
ルーベンスに幾度も作品を依頼していますが
その最大・最高のものとなったのが
聖母大聖堂の「十字架から降ろす」(「キリスト降架」)です。
この作品は 火縄銃ギルドの組合長をしていたロコックスが
ルーベンスに依頼したものです。


5) 聖カルロス・ボロメウス教会

アントワープ旧市街にある バロック様式の教会。
イエズス会によって建てられ 1621年に完成しました。
建物の外装・内装・祭壇・絵画など 多くをルーベンスが担当しました。
そのため 完成後 その素晴らしさに
当時のアントワープの人々は 「世界で八番目の奇跡」と言ったそうです。
しかし 1718年に落雷のために火事となり
その内部のほとんどが失われてしまいました。


6) 聖パウロ教会

町のやや北側にあるブラバント・ゴチック様式による教会。(1517〜1639年)
そもそもは修道院の教会として始められました。
塔はバロック様式で1680年に完成しました。
この教会の中庭にある 「カルヴァリの庭」は
63体の等身大の彫刻と九つのレリーフから構成されているもので
バロック時代の民俗的/劇場的な表現様式を端的に表しています。
また教会内部にある「聖十字架祭壇」はフランダース地方で最も美しい祭壇
その反対側にある後期バロック様式の懺悔室は 世界で最も美しい懺悔室と言われています。


7) プランタン・モレテュス印刷博物館
そもそもは16世紀半ばにフランスから出てきたクリストフ・プランタンによって始められた印刷工場で
(それによって 史上初めて印刷が工業化されました)
16世紀末から17世紀はじめ(ルーベンスの時代)には
娘婿のヤン・モレテュスと その子バルタザール・モレテュスによって
世界最大の印刷工場に発展させられた
その様子を保存し公開しているものです。
この時代の印刷設備を持っている世界で唯一の工場であり
また その図書館には
印刷以前の手書き本をはじめとする
貴重な書籍三万冊が収められています。
これらの古文書と 世界最古の印刷機とが 2001年にユネスコの世界文化遺産に登録されました。
2002年には 建物と図書室と印刷道具類が ユネスコの世界歴史遺産に登録されました。
そして 2006年には (博物館としては世界で唯一)
建物と内容物全てが ユネスコの世界文化遺産に登録されました。

印刷の歴史だけではなく
手書き本以来の 本を作る歴史と
印刷においても 手書き本の制作においても
フランダース地方がいかに優れた技術をもっていたかを見ることができる
質の高い博物館となっています。


8) 王立美術館

今日の王立美術館の建物は 1884〜1900年にかけて建てられたものですが
そのコレクションのそもそもは
1382年に創立された聖ルカ・ギルドに所属している芸術家たちの作品を保管する「美術室」から始まりました。
1663年には 画家ダヴィッド・テニールスDavid Teniersによって聖ルカ・ギルド内に 美術アカデミーが開設され
独自のコレクションを持つようになりましたが
1773年のギルド解体によって 聖ルカ・ギルドの所蔵品と 美術アカデミーの所蔵品とが
まとめられました。

市の南部にあった スペイン要塞が取り壊された後
新たな美術館が 「ルーベンスに捧げる」目的で建てられました。
ですので 建物の真ん中の大きなホールは ルーベンスの部屋となっており
この美術館には 22点のルーベンスの作品が収められています。

現在は
15世紀フランダース写実主義絵画から 20世紀のベルギーの作品まで
7200点ほどの収集品を所蔵しており
常設展のほか 特別展も随時開かれています。
(2010年10月から三年間 内部の改装工事のために閉鎖されています。)


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