「フランダースの犬」に出てくるルーベンス作品

「聖家族」

(「諸聖人に囲まれる聖母」)


「聖家族」(諸聖人に囲まれる聖母)

この作品は
アントワープ市内の聖ヤコブ教会 Sint-Jacobskerk内にある
ルーベンスの墓所に掲げられているものです。


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聖ヤコブ教会は
1491年に今日の姿のゴチック様式の建物の建築が始まりました。
その設計には その時代を代表する建築家たちがあたっています。
しかし 財政難のために建築は難航し
1656年に中止されました。
そのために 本来 聖母大聖堂を模した塔を(しかしそれよりも高く150メートルに)建てるはずだったのが
高さ55メートルで中途半端な形になっています。

アントワープ市内では
聖母大聖堂に次いで 二番目に重要な教会とされていますが
その理由は
(ルーベンスをはじめとして)裕福な人々がこの地区に住んでいたこと
そのために 内装が充実していること
質の高い美術品を所有していること
にあります。
建物自体は 後期ブラバント・ゴチック様式ですが
内装は バロック様式で
北西ヨーロッパにおける もっとも壮麗なバロック教会の一つとなっています。
アントワープのほとんどの教会建築は
フランス革命の後のフランス統治時代にかなりの損害を被っていますが
この聖ヤコブ教会のみは その当時の司祭がフランスに忠誠を誓ったために
そのままの状態で保たれました。

また この教会のオルガンは1727年に製作されたものですが
素晴らしい木彫り彫刻の中に収められており
1765年に9歳のモーツァルトが演奏したものでもあります。

ルーベンスは 1615年に
現在「ルーベンスの家」として博物館になっている家に 住み始めましたが
それにより この聖ヤコブ教会が彼の地区教会となりました。
毎日 ここに礼拝に来てミサに列席し
1630年12月6日にはここで 二度目の妻エレーナ・フルマンとの結婚式を挙げ
また彼らの子供たちは いずれもここで洗礼を受けています。
この教会には 23の祭壇がありますが
(それらには百種類以上の大理石が使われています)
主祭壇の奥の聖母礼拝室に
(つまりこの教会で最も格が高いところに)
ルーベンスの墓所があります。
ルーベンス家の墓が完成したのは
彼の死の5年後の1645年です。
記録によると
ルーベンス家の墓には
50人以上が葬られたとされていますが
1855年の調査では
16体の遺体しか発見されませんでした。


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「聖家族」は
15世紀(のヤン・ファン・エイク)以来
墓所の絵として非常に好まれた題材ですが
このルーベンス晩年(1638〜39年)の作品は
(ロマンチックな)19世紀には 変装家族肖像画の典型とされました。
画面の左端に描かれている(鎧姿の)聖ゲオルグがルーベンス自身
聖母マリアは 死別した最初の妻イザベラ・ブラント
(聖ゲオルグのすぐ右の)マグダラのマリアが 後妻エレーナ・フルマン
だとされています。
ただし ルーベンス自身がこの絵を
彼の墓のために制作したのかどうかは定かではありません。
けれども この時期(死の1〜2年前)には
痛風によって 創作が困難な状態の時が多かったようで
その中でこの絵が描かれたということは
やはり 死期を感じていたルーベンスが
形見にと描いた可能性は大きいかと思われます。

聖ヤコブ教会のルーベンスの墓
聖ヤコブ教会のルーベンスの墓石
聖ヤコブ教会のルーベンスの墓


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物語の中では
おじいさんには 毛皮のついた紫色の服を着せてあげて 聖ヤコブ教会の礼拝堂にある「聖家族」の絵の中の老人のように描こう。
というネロの言葉があります。
ということは
ネロは この絵を見たことがあることになります。


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