亡くなった町 ヴィアレッジョについて




ウイダは
1908年1月25日 イタリアのヴィアレッジョ Viareggioにて
69歳で死去しました。

ヴィアレッジョは イタリアのトスカーナ州ルッカ県の町で
ティレニア海に面しています。
今は ヴィアレッジョのカーニバル(1873年に始まりました)によっても有名になっているこの町は
イタリアで最も長い砂浜があることから
19世紀なかばから 海水浴場としてトスカナ地方の主要な観光地となりました。

16世紀初めから 今の町が形作られましたが
(現存している最古の建物は 1541年のものです)
19世紀に入ってからは
ナポレオンの姉 エリサElisaによる統治の時代の後
オーストリア統治となりますが この時代に
1828年以来 海岸が整備されたり カジノが建てられたりして
観光地となっていきます。
1847年に トスカナ大公国に併合されてからは
更に トスカナで最も重要な海水浴場となっていき
観光業のほかに 造船業(主に帆船)によっても 経済的に繁栄するようになります。
20世紀に入ってからは
海岸にPasseggiata遊歩道が作られ カフェや店屋も急激に増えていき
「ティレニア海の真珠」と呼ばれるようになります。
この頃は 町の建物のほとんどが木造でした。
そのために 1917年の大火で 町は一晩にして灰に化しました。
第二次世界大戦では 激しい空襲のために町はかなりの被害を被ります。

ウイダが亡くなった1908年初めは
上記のように 海水浴場として栄えていた町の
冬の閑散期だったということになります。

ヴィアレッジョの港 ヴィアレッジョの街 ヴィアレッジョの遊歩道



☆a☆dog☆of☆Flanders★a☆dog☆of☆Flanders★a☆dog☆of☆Flanders★a☆dog☆of☆Flanders★a☆dog☆of☆Flanders★


その 海水浴場の安ホテルの一室で
1908年1月25日に 彼女の死体が発見されました。
最後まで飼っていた犬を固く抱きしめて・・・・
それはあたかも 「フランダースの犬」のネロとパトラッシュの最後のようでした。
イギリス政府からの僅かな年金だけが収入源となっていた
(初期の頃の先品は売れ続けてはいましたが 彼女には著作権料は入ってきませんでした)
経済的に苦しい生活の中で
出費のほとんどを飼い犬の餌代に当てていた彼女は
ホテル代を節約するために しばしば馬車の中で寝泊りをしていました。
そのためか 肺炎を患い それが元で亡くなることになります。
若い頃に 豊かな収入によって 派手な生活をしていた
その面影も無く・・・・


☆a☆dog☆of☆Flanders★a☆dog☆of☆Flanders★a☆dog☆of☆Flanders★a☆dog☆of☆Flanders★a☆dog☆of☆Flanders★


お墓は 同じルッカ県の山間の村
Bagni di Luccaバーニ・ディ・ルッカの英国人墓地にあります。
Bagni di Luccaバーニ・ディ・ルッカはその名のとおり
温泉が湧いているところです。

リマ川Lima(セルキオ川の支流)が流れる谷間に湧く温泉は
水温が36〜54度で
この温泉を利用する病院が建てられています。

ウイダの墓
ルッカ市街地 ルッカのセルキオ川 ルッカの要塞



☆a☆dog☆of☆Flanders★a☆dog☆of☆Flanders★a☆dog☆of☆Flanders★a☆dog☆of☆Flanders★a☆dog☆of☆Flanders★a☆dog☆of☆Flanders★a☆dog☆of☆Flanders★


トップページへ
目次へ
前のページへ
次の項目へ